シンプレクス株式会社 代表取締役社長 金子英樹【企業TOPが語る 仕事とは?】

1963年、東京都生まれ。一橋大学法学部卒業後、87年にアーサーアンダーセン(現アクセンチュア)に入社。外資系ベンチャーを経て、91年、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券(現シティグループ証券)に転職。97年、金融機関向けのコンサルティング・システム開発などを手がけるシンプレクス・リスク・マネジメント(現シンプレクス)を設立し、2000年に代表取締役社長に就任。05年に東証1部上場を果たすも、13年にMBO(マネジメント・バイアウト)による上場廃止を選択。現在を第二の創業期として位置づけ、新たな成長ステージへの飛躍に向けた挑戦を続けている。

若いころに優秀な人と働けたことが成長を促した

大学時代はほとんど勉強せず、ディスコ(現在のクラブ)でのアルバイトに没頭していました。当時の東京では、たくさんのディスコがしのぎを削っていました。大小合わせて100近い店があり、そこにははっきりとした序列がありました。どうせ働くのなら、少しでもかっこよくて格上の店で働きたい。それも下っ端ではなく、少しでも上のポジションに昇格したい、影響力を持ちたい。自然と、そんなふうに考えていましたね。

周りには、私と同世代にもかかわらず、猛スピードで出世の階段を駆け上っていく人もいました。違う店に移るたびに、店の格もポジションも上がっていくのです。今思うと、外資系金融機関でステップアップする場合と似た構造ですね(笑)。

私は、周囲を注意深く観察しました。そして、普遍的ともいえる「成功へのルール」の存在に気づいたのです。誰も知らなかった「ルール」を見つけ出し、最短距離で実現して来店客数を伸ばせたときは、知的好奇心が満たされた感じがしてワクワクしました。このように、目標に対して解決策を考えて実行、PDCA(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善)を繰り返して最終的に実現するという仕事の進め方は、今も私の原点になっている気がします。

ディスコの仕事を始めて1年もすると、席数や混み具合をチェックするだけで、各店舗のおおよその収益が瞬時にわかるまでになっていました。さらに大学4年生になると、仲間でお金を出し合い、自らディスコを経営。気が付けば月に数百万円を稼げるまでになりました。

そのまま起業家として生きる道も考えました。ただ、水商売の世界に物足りなさを感じていたのも事実です。もっと知的好奇心を満たせる場所はないか。そう考えていたとき、同級生から1冊の本を勧められました。それが、経営コンサルタント・大前研一さんの『世界が見える日本が見える』。衝撃でした。このとき初めて、高度な専門知識を生かして顧客の課題を解決するコンサルタントという仕事を目指そうと決意したのです。

大学卒業後、外資系コンサルティング会社であるアーサーアンダーセンに入社。当時のアンダーセンでは、ある大手生命保険会社のシステム刷新という一大プロジェクトが進行していました。この未曽有のプロジェクトに、私も新人ながら配属されたのです。

そのプロジェクトは、アンダーセンが中心となって複数の大手SIベンダー(情報システムの開発・販売を行う企業)をとりまとめるものでした。当初から日本最大級の案件と言われており、最終的には「世界最大級のシステム」と評されたほど大規模なものだったのです。そのため、一緒に働いていたSIベンダーのエンジニアは、豊富な経験を持つベテランばかり。一方、アンダーセン側の執行役員は当時32歳、現場のリーダーは28歳で、それ以外のメンバーも私をはじめ若手ばかりという状況でした。SIベンダーからの「お前たちにまとめ役が務まるのか?」というプレッシャーは、非常に厳しかったですね。

そもそもアンダーセンにとりまとめ役が任されたのは、まだ世の中に存在しない、革新的なシステムを期待されたからでした。しかし、そうしたプロジェクトにはリスクがつきものです。もし、私たちがつまずいて開発が遅れてしまったら、「もっとリスクの小さい、保守的なシステムに切り替えるべきだ」という意見が強くなってしまうでしょう。そうなったら、アンダーセンはお役御免。私たち全員がクビになるかもしれないという状況でした。

幸いなことに、当時一緒に働いていたメンバーは潜在能力の高い人ばかりでした。アンダーセンにとっては社運を懸けた案件だったので、各世代の「エース」が集められていたのです。そして彼らは、例外なく負けず嫌いでした。普段はいい加減に見えても、モードが切り替わると全身全霊で開発に取り組む人々だったのです。

私自身も、負けず嫌いという点については人一倍自信がありました。ほかのSIベンダー、そして先輩や同僚たちに負けるものかと、不眠不休で開発に没頭。その結果、プロジェクトに参加したわずか2年間で、ビジネスパーソンとして急激な成長を遂げることができました。

新入社員のうちに優秀な人々と仕事ができたのは、とても貴重な経験だったと思います。彼らの働きぶりをつぶさに見たことで、「きわめて難しい目標を掲げ、それを実現するために全力を振り絞る」「トップエリートとして活躍するためには、ハードワークをして価値を生み出さなければならない」という2点が、私の中に軸として組み込まれたのです。

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工夫して何かを生み出す力を伸ばしてほしい

アンダーセンでは、約3年間働きました。その後、シリコンバレーの金融ハイテクベンチャーの立ち上げに参加。このとき初めて、最先端の金融工学を駆使した金融商品、とりわけデリバティブ(金融派生商品)の世界に触れました。

金融の世界では「市場のゆがみ」を他社に先駆けて見つけ、安い商品を高く売ることがカギを握ります。

多くのプレーヤーが安く仕入れられる金融商品の存在に気づいたら、買い手が増えて価格は上昇するでしょう。また、高く売れていた商品も、売り手が増えて供給が潤沢になれば価格は下がります。だから、他社と同じ情報を持ち、同じ行動をしていたら絶対に勝てません。誰もが気がつかなかった切り口で市場を見つめ、データを駆使して自らの仮説が正しいか検証する。その上で利益を生み出せる商品をいち早く探し出すことで、初めて大きな利益が得られるのです。そこに強い魅力を感じ、「金融工学×IT」というビジネスを志すようになりました。

ただ、私にとって「どんな仕事をするか」はさほど大きな問題ではありません。運命のボタンが少しでも掛け違っていたら、金融やIT以外の仕事をしていた可能性もあったでしょう。ただ、どんな業界に進んでいたとしても、きっと仕事を楽しんでいたでしょうね。

私にとっては、新しい分野で知識を学び、誰も想像しなかったような工夫を考え出すことが、なによりも楽しいのです。ほかの人に先んじて、未開の地に踏み出したい。そんな思いが、仕事への原動力になっています。

学生の皆さんの中には、思い通りの会社に入れない人もいるでしょう。また、入社後に希望の部署に配属されないことだってあるかもしれません。でも、ふてくされる必要なんてないのです。

当社にも、古いプログラミング言語で開発するチームに配属され、不満を持っていた若手社員がいました。「同期のAさんは、最先端の技術に触れられる部署でうらやましい! それに比べて私のキャリアは大丈夫でしょうか?」と訴えてきたのです。それに対し、私はこう答えました。「新しい言語は、さほど深く考えなくても希望の機能が実現できるよね。一方、古い言語は深く考えて本質をつかまなければプログラミングはできない。逆に言えば、工夫次第で処理速度を高められるんだ。その分、あなたが技術者として成長するチャンスも大きいんだよ」と。

どんな経験も、決してムダにはなりません。考え方次第で仕事は楽しめるし、成長の機会も得られるのです。

今後の日本を引っ張る産業は、「サービス」だと考えています。中でも、ITと金融は有望な分野でしょう。私はIT分野に強いコンサルタントとしてキャリアをスタートし、その後、金融の世界にも進出しました。また、外資系企業、グローバルマーケットで働いた経験も豊富です。そんな私から言わせていただくと、日本人は世界で十分に戦えます。それなのに、現在の金融・IT業界では、ニューヨーク、ロンドン、シリコンバレーなどの企業が幅をきかせています。

日本の金融・IT企業の存在感が小さいのは、なぜでしょうか? 原因の一つは、日本が「プレーヤー」を大切にしていないことにあると、私は考えています。

日本のIT業界には、ピラミッド型のヒエラルキーがあります。大プロジェクトを受託するのは限られた大手SIベンダーだけ。実際にプログラムを書くのは、下請け、孫請け企業のエンジニアということになりがちです。

こうした仕組みでは、優秀なエンジニアが活躍できません。大企業に入社したら、プログラムを書く機会はなく、下請け、孫請けの管理ばかり。一方、プログラムを書きたいと思って下請け、孫請けに入ったら、低い待遇に甘んじなければなりません。これでは、才能の無駄遣いです。

私は経営者として、プレーヤーを大切にする企業を目指しています。管理する人ではなく、良いモノを生み出した人が高く評価される。そんな仕組みを作りたいですね。そうすれば、優秀な日本の才能を有効活用でき、世界で存分に活躍できると考えているのです。

学生の皆さんには、さまざまな事象に対する知的好奇心を、ぜひ活性化してほしいですね。また、自分で工夫して何かを生み出す力も磨いてほしいと思います。そうすれば、世界で活躍できる人材に近づけるのではないでしょうか。

新人時代

新人時代の同期は私を筆頭に、長髪、日焼けした肌などビジネスパーソンらしからぬ外見。一緒に働いていたSIベンダーの人たちは、恐らく面食らっていたと思います。ただ、全員がバイタリティにあふれ、仕事に打ち込む際の集中力がものすごかったのです。私も開発が佳境にさしかかった時期には、3カ月自宅に帰らず働き通した経験もありますよ。

プライベート

経営者になった今でも、プレーヤーとして働くことが楽しいです。2013年にMBOを実施したときも純粋なプレーヤーとして、1日に15~6時間くらいは働いていました。プライベートで遊んでいるより、仕事で「プレー」をすることがずっと楽しいですね(笑)。

取材・文/白谷輝英 撮影/刑部友康

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