蛭子能収さん(漫画家・タレント)の「仕事とは?」

えびすよしかず・1947年長崎県出身。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、清掃用具レンタルの営業などの職業を経て、漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。おもな著書に『ひとりぼっちを笑うな』(角川書店)、『芸能界 蛭子目線』(竹書房)、『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)、『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ、全21冊のうち7冊発売中)などがある。2016年1月には東京・渋谷パルコでこれまでの作品や新作を展示する個展『新春えびすリアリズム〜蛭子さんの展覧会〜』が開催され、好評のうちに終了。長編映画初主演となる『任侠野郎』も6月4日より全国で順次公開。

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何かを成し遂げたかった。今はどうでもいい感じになってきましたけど(笑)

ひとり遊びが好きでしたね、小さいころから。父と兄が漁師で母も漁を手伝っていて、ひとりで家にいることが多かったからかな。漫画はよく読んでいたし、小学校高学年くらいからは映画。少し前の作品を2、3本上映している安い映画館が近所にあって、よく通っていました。

育ったのは、長崎市戸町というところ。当時は中学を出て働く人が多く、高校に行くのはひと握りという環境でした。兄は漁師になりましたけど、僕には向いてないと親もわかっていたんでしょうね。事務員になるのがいいんじゃないかということで、兄弟3人の中で僕だけ高校に行かせてもらいました。高校では美術部に入部。卒業をしたらデザインや映画関連の仕事に就けたらなあと考えることはありましたよ。当時は東京オリンピック(1964年)のポスターを手がけた亀倉雄策さんや横尾忠則さんといったグラフィックデザイナーが脚光を浴びていた時期で、憧れたんです。ただ、ぼんやりした夢のようなものでね。口に出して「デザイナーになりたい」と言うようなことはなかったです。

美術部の顧問の先生の紹介で、高校卒業後は地元の小さな看板屋さんに就職しました。グラフィックデザインとは違う世界だけど、看板屋さんで修業すれば、将来は自分で店を持てるかもしれない。「そんなに悪い話じゃない」と思って働き始めましたが、実際に看板を描くのは職人さんで、僕のおもな仕事は看板の設置。肉体労働がほとんどでした。休みは月に2回くらいしかなく、給料は月1万円からのスタート。当時としてもかなり安い金額でした。かたや、美術部で仲の良かった友人が同じ先生の紹介でテレビ局の美術部に入ったんです。友人の話を聞くと、彼の仕事は週休2日で福利厚生がしっかりしており、給料は僕の倍以上。すごく敗北感があって、涙が出ました。

それでも、就職して良かったことがふたつありましたよ。皆さんにちょっと呆れられてしまうかもしれないんですけど、ひとつはパチンコができるようになったこと。学生時代からやってみたかったから、うれしくて…。ほとんど毎日パチンコ屋さんに寄って帰っていました。もうひとつは趣味の合う同僚が職場にひとりだけいたこと。夜間高校の学生さんで、1歳か2歳下だったんですけどね。漫画が好きで、プライベートで「漫画クラブ」という同好会を作っていて、僕も連れて行ってくれたんです。そこで『ガロ』という漫画誌を読んで、つげ義春さんの作品に衝撃を受け、漫画を描きたいと思うようになりました。「漫画クラブ」では同人誌も作ったりして、すごく楽しかったです。

ところが、彼が高校を卒業して上京するということで、退職してしまったんです。なんだか孤独で、「このまま長崎にはいたくない」といてもたってもいられない気持ちが湧いてきましてね。就職して5年目かな。ちょうど大阪で万国博覧会のあった年(1970年)で。勤務先の人たちが代わる代わる休暇を取って万博に行くのに乗じて僕も「万博に行くので休みをください」と言って東京に出てきてしまいました。

大阪万博ですか? 素通りしました。つい最近、ロケで初めて「太陽の塔」を見て、感動しましたけどね。こんなデカいものを作るなんて、岡本太郎は素晴らしいって。

上京後は元同僚のところに転がり込みました。同じような人がもうひとりいて、狭いアパートに3人。申し訳ないから、早くそこを出なければと新聞の求人欄で仕事を探しましたが、どの求人も条件は「大卒以上」。ようやく見つけた勤務先は、渋谷の看板屋さん。寮があって、食事付きだったので、まずはここにと思ったんです。当初は映画関連の仕事に興味がありましたから、働きながら1年間シナリオ教室にも通いました。だけど、教室が青山にあって街のおしゃれな雰囲気に気後れしたのか、誰ともしゃべれなくて。ひとりも友達ができなかったんです。映画関連の仕事はチームワークが必要ですからね。自分にはちょっと難しいな、目指すなら漫画家だなと思って、暇さえあれば漫画を描くようになりました。

描き上がった作品を『ガロ』編集部に持ち込みましたが、最初は「ストーリーは面白いけど、絵がちょっとダメ」って言われたんですよ。漫画のペン入れにはGペンという強弱のつけやすいペンが使われることが多くて、僕もそうだったのですが、僕はGペンを使うのが苦手だったんです。そこで、看板屋さんの仕事で使い慣れていた製図用ペンで書いて持って行ったら入選して、26歳で漫画家としてデビューしました。線に強弱のつけやすいGペンに対して、製図ペンは一定の線しか出ないんですね。ちょっとほかの漫画とは違った感じになるし、本当に死んだような線で…。僕の漫画には合っていたようです。

テレビに出るようになったのは30代後半から。劇団『東京乾電池』座長の柄本明さんからポスターを依頼されて、劇団に出入りするうちに、柄本さんに誘われて1度だけ舞台に立ったんです。その舞台を見たフジテレビのプロデューサーに声をかけてもらって、『笑っていいとも!』に出演したのをきっかけに、ドラマやバラエティ番組に出るようになりました。

驚いたのは、テレビの仕事と漫画のギャラの違い。漫画だと2カ月かかってようやく稼げる額をテレビなら1週間で稼げてしまう。漫画でも売れる漫画家さんなら話が別でしょうけど、僕の漫画は全然売れなかったので、「テレビはすごいなあ」と思いました。一方、テレビに出るようになって「作品と本人のイメージが違う」ということで漫画はさらに売れなくなってしまって…。

それでも、漫画をやめることは考えませんでした。『ガロ』なんて原稿料は出ない雑誌でしたけど、いいものを、きちんとした漫画を描かなければなと思っていました。やはり、漫画で何かを成し遂げたかったんですね。もっとも、今はどうでもいい感じになってきました(笑)。漫画でもテレビでも、声をかけていただくというのはうれしいですから、注文があればできる限りお受けします。さすがにパラシュートで飛ぶとか、心臓に悪いことはお断りしますけどね。

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誰かに面倒を見てもらうと、自由にものが言えなくなる

社会人になって、働いていなかった時期はほとんどないんですよ。渋谷の看板屋さんを辞めてからは、ちりがみ交換を1年半くらい。清掃用具レンタルの営業も8年ほどやりました。その間に漫画家としてデビューしましたが、まったくお金にはならなかったので、生活費を稼ぐための仕事もずっとやっていました。すでに妻子がいましたしね。

仕事で「大変だなあ」とか「苦手だな」と思うことはたくさんありましたよ。例えば、渋谷の看板屋さんで働いていた時は、上司の気性が荒く、叱られてばかり。今思えば、その上司も一生懸命仕事を教えてくれようとしていたことがわかるんですけど、当時は怖くて、いつもビクビクしていました。清掃用具レンタルの営業を始めた時も、一軒ずつ知らないお宅を訪問するんですけど、僕は口下手だからイヤでね。でも、「これも仕事のひとつ」と割り切って考えたら、意外と平気でした。

仕事をするって、イヤなこともあるのが当たり前だと思うんです。やらないとお金をもらえない。だから、そういう覚悟を持って就職した方がいいかなと思いますね。イヤなこともするという覚悟があれば、いいことがあったときに二重に喜びを感じられますから。

30代前半に仕事をすべて辞め、しばらく漫画に専念した時期もあります。本格的に漫画で食べていくには、そのくらいの思い切りもなければと考えて。ただ、その時も事前に計画を立てて、半年くらいは何もしなくても暮らせるよう貯金はしていましたよ。亡くなった当時の妻にもあらかじめ相談して、その上で仕事を辞めたんです。貧乏生活で妻には苦労もかけてしまい、大きなことは言えないけれど、借金だけはせずに生活できました。

社会に出たら、仕事をして自分でお金を稼ぐ。それは絶対に必要なことだと思っていたし、周りの大人からもそう教えられていた気がします。単純な話、生活していけるだけのお金がすでにあるなら、仕事をしなくてもいいけれど、そうでない人はやった方がいいんじゃないかなあ。とにかく金銭面で誰かに面倒を見てもらうのはおすすめしません。

自分で食う分は自分で稼ぐ。誰かに面倒を見てもらうと、その人に対して自由にものが言えなくなるし、その人が親分みたいになってしまう。そういう関係はあまり良くないかなと思いますね。居心地が悪いですから、人に面倒を見てもらうというのは、僕はちょっと苦手です。自分で稼いでいれば、少なくてもプライベートの時間は自由に過ごせる。自分で自由に動けるくらいのお金は稼ぎたいって僕自身は思います。

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INFORMATION

俳優・太川陽介さんと蛭子さん、「マドンナ」と呼ばれる女性ゲストの「珍道中」が人気の旅番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京)が映画化!! 『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE』として2月13日(土)より全国で公開される。マドンナに三船美佳さんを迎え、舞台は番組初の海外・台湾。3泊4日の行程で路線バスを乗り継いで目的地を目指すが、「ロケ中に台風が来てバスも止まってしまい、本当にどうしようかと…。目的地にたどり着けたかどうかですか? それはちょっと言えません」と蛭子さん。 

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取材・文/泉彩子 撮影/臼田尚史

 

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