メディアの本当の力を知って、驚いた入社3年目
もともと映画が好きでした。一番見たのは浪人中。年間400本は見ました。映画ノートをつけていましたから、本数もわかるんです。
大学に入ってからは、いずれは映画にかかわる仕事がしたいと思っていたので、当時、故郷の静岡県三島市に暮らしていた五所平之助監督のもとで、書生のようなことをしていました。大学は東京でしたから、ときどき帰省しては監督の家で本の整理をしたり、犬の世話をしたり、と。
大学で映画関係のサークルに入ったりはしませんでした。同じようなことを考えている学生と話しててもしょうがないと思っていたので。それよりもクラスの仲間うちでサークルのようなものを作り、飲みに行ったり野球したり、学園祭に模擬店を出したりしていつも遊んでいました。これが楽しかった。
最初に映画に興味を持ったのは、テレビで見た洋画がきっかけです。やがて隣町の映画館に通うようになって。現実から離れた映画館の空間には、いつもワクワクしました。でも、そのうち思うようになったんです。自分は映画を作っている人間の意図にまんまとはめられているんじゃないかと。仕かけている人間を意識するようになるんですね。してやられて笑ったり泣いたりしている側じゃなくて、仕かけている側に行きたい、と。
その後、就職活動の時期を迎えて、お世話になっていた五所監督に、映画会社かスタジオに推薦していただこうと思いました。当時、映画監督協会の会長をされていたので。ところが「テレビに行け」と言われたんです。もうびっくりでした。
入社したときは、ドラマ制作を希望していました。演出をして、実際に映像を作ってみたかった。ところが配属は編成部(番組のタイムテーブルの統括)。でも落ち込みませんでした。
五所監督の言いつけどおり映画ではなくテレビ局に入りはしましたが、父親には「嫌なら3年で辞める」と言っていました。そのくらいの映画への強い気持ちを持っていたんです。ところが、実際に入ってみたら楽しかったんですよね。いるところが好きになっちゃうタイプなんですよ。何をするにしても、そのことを好きになっていく。でもそうすると、いろいろなことがうまくいくんですね。
ただ、番組を作りたいという気持ちはずっと持っていました。
ひとつ強く印象に残っている仕事が、3年目に担当した映画『南極物語』のPRでした。主演俳優はあの高倉健さん。さすがに何でもかんでも協力してもらうわけにはいかない。そこで、出演していた犬のタロとジロを使ってみることになり、その担当を命じられたんです。
いろいろな番組に犬を連れていきました。『笑っていいとも!』をはじめ、たくさんのバラエティ番組にも出ました。まず面白かったのは、やっているうちに犬が言うことを聞いてくれるようになったことです。会社ではまだ若手、ずっと下っ端でしたから、自分の言うことを聞いてくれるとこれがうれしくて(笑)。
全国の映画館も回りました。犬ですから劇場には入れない。入り口近くのポスターの前あたりにつないでおくんですが、映画が始まる前はほとんど誰も関心を示しません。ところが、2時間後に映画が終わって出てくると、様子が一変するんです。スクリーンで活躍していた本物の犬がそこにいるわけですから。触っていいか?写真を撮っていいか?と大騒ぎになって。
いったいこの差は何なのか、と思いました。わずか2時間で犬がスターになっているわけです。それを目の当たりにしてあらためて感じました。映画やテレビというのは、こんなスピードでスターを生んだり人気者を生んだりできてしまうのか、と。しかも、映画がヒットすると次々に出演依頼が来る。「メディアにはこれだけの力がある」。それを知って、あらためて興奮しました。
驚くべきことに、その年の暮れの『NHK紅白歌合戦』からもタロとジロにぜひ出てほしいと出演依頼が来ました。そんなわけで、ステージの上に一緒に立つことになりました。おそらく民放のテレビ局員で、『紅白歌合戦』のステージでテレビに映ってしまったのは僕が初めてだったんじゃないかと思います。もちろん、犬が主役だったんですけどね(笑)。
メガヒットにセオリーなどない。いつも必死で考えている
20代後半になって、ドラマの企画を担当するようになりました。まだまだ経験が浅かったにもかかわらず、いろいろな方に「こんなことがやりたい」と言いたいことを言っていました。生意気だったと思います。でもそれを会社も信じてくれて、自由にやらせてくれた。振り返ってみれば、会社としても大胆なことだったと思います。
ちょうどこのころ、これぞテレビだという印象的な出来事があったんです。あるときゴールデンタイムの番組が急遽(きゅうきょ)、差し変わることになった。編成部長から声がかかり、バラエティやらドラマやらいろいろな担当者が集められ、「企画をすぐ考えろ」と指示がありました。
でも、ドラマの企画は一日でできたりしないのでちょっと人ごとでした。そうしたら、「ドラマ制作は何を知らん顔して聞いているのか」と怒鳴られてしまって。「何か方法はあるだろう、ドラマの企画をすぐに考えろ、なんとかしろ!」と。そのときに頭にハッと浮かんだのが、ある超売れっ子の女性アイドル歌手でした。ドラマをやりたがっているという噂を耳にしたことがあったんです。
すぐにツテをたどって話を持ちかけてみたら、なんとその日のうちに、やろう、ということになった。「やった!」と思いました。
それで意気揚々と編成部長に報告に行ったら、「あ、それさっき別のバラエティで決まったから」とひと言。絶句です。さすがにそれはないでしょう、という顔をしていたんだと思います。そうしたら編成部長に言われたんです。「あのな、テレビの世界で、上司の話をいちいちうのみにしてどうするか」と。また絶句です。
ただ、もうドラマはそのアイドル歌手と話をつけてしまっている。困っていたら、別の枠の担当者から、連続ドラマの初回が間に合わないので、その週でやってみないか、と声をかけられたんです。放送時間帯がターゲットとはちょっと違っていたんですが、そこはなんとかうまく調整することにして。結果的にいい形で収まりそうだったので、問題ないだろうと編成部長に内緒で進めていたんですが、途中でバレてこっぴどく叱られました。「大事なことは報告しろと言っていただろう。オレの知らないところで何を勝手なことをやってるんだ」と。
でも、このとき言ってやったんです。「上司の話をうのみにするなと言ったじゃないですか!」と。これには部長も言い返せない。「そんなもので数字が取れるか」と捨て台詞(ぜりふ)を吐かれましたが、視聴率は18パーセント。してやったりでした。するとまた編成部長に呼ばれて、今度は、「お前、パート2はできるか?」と(笑)。テレビの世界は、本当に面白いと思いました。
2003年からは映画事業に携わり、『踊る大捜査線』『テルマエ・ロマエ』をはじめとする、ヒットシリーズを手がけてきたのは事実です。でも、コケたものもいっぱいあるんです。ヒットのセオリーなんてものはない。そのときそのとき、必死になって考えるだけです。そして、自分が面白いと思うものと、世の中が面白いと思うものが一致したらヒットになるんです。
だから大事なことは、普通の生活をし、普通の感覚を持つことなんです。夏休みに南の島になんて行かない(笑)。故郷に帰省ですよ。結婚していれば、普段は家族と過ごし、子どもたちと『ちびまる子ちゃん』や『サザエさん』で笑ったりする。独身時代は仕事で忙しいかもしれないけれど、ちゃんと遊んで恋もする。そうすることで、普通の人の生活や、若い人の恋愛の気分が見えてくる。
ただ、作品を作るときには、新しいものを提示することはいつも考えていました。例えば、いきなり視聴率30パーセントを取ったドラマ『ロングバケーション』は、実は「好きだ」というセリフを言わないドラマなんです。だって、みんな「好きだ」なんて、そんなしょっちゅう言わないでしょう。そう脚本家に依頼しました。僕には、そういう作り方のドラマが意外にたくさんあるんです。何かひとつ、決めごとを作ってみるんです。
これを読んでいる人で、もし今テレビがつまらないと思っているのなら、じゃあこっち側に来て、自分が面白いと思うものを作ってみたらどうですか?と言いたいですね。してやられる側ではなく、仕かける側として。誰かを楽しませたい、と思う気持ちがあるなら、僕はぜひテレビというフィールドで遊んでみてほしいと思う。テレビにやれることはまだまだたくさんあるはずだから。それこそ「オレがまったく違う新しいものを作ってやる」くらいの志をこそ、持って入ってきてほしい。
僕が入社したころ、フジテレビは業界内で厳しい状況にありました。でも、入社してびっくりしました。そんな雰囲気はまったく感じなかったから。みんな個性派ぞろいで、誇りを持って番組を作っていました。そして同時にこうも思いました。厳しい状況にあれば、実は早くチャンスが巡ってくるんじゃないか、と。実際、その通りになりました。厳しいときの方が、仕事は面白くなるものなんです。
新人時代
プライベート
休日は家でゆっくりしています。寝てる、と言ってもいいかもしれない(笑)。日曜日は朝からニュースにスポーツに、フジテレビの一視聴者として楽しんでいますね。夕方の『ちびまる子ちゃん』を見て、大事なことは親ではなくて、祖父母から教わるんだなぁ、と思ったり(笑)。
取材・文/上阪徹 撮影/鈴木慶子
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