働く会社が変わるとこんなにも違うのか、と思った
僕の学生時代は大きく2つの時期に分かれてるんです。まったく勉強をしていない時期と、勉強しかしていない時期。僕はものすごい地方の出身なんです。すぐ目の前が海。最寄りの自動販売機までは2キロ、みたいな(笑)。そこから大学で大都会の京都に出たので舞い上がってしまって(笑)。最初は、遊ぶことが楽しくてしょうがなかった。
おまけに僕は仕送りをもらっていなかったので、自分で稼がないといけなかったんです。そして出合ったのが、飲食店の仕事でした。当時はバブルの時代ですから、世の中も華やかで、夜の店の仕事は面白かった。大学は辞め、自分で店を持って生きていこうかと思ったくらいでした。
そんなとき、先輩にアドバイスをもらって大学を1年休学したんです。
そして休学中にいろんな人に会う中で、「ちょっと待てよ、ほかにも人生にはいろんな選択肢があるんじゃないか」と気づくことになりました。それから、勉強漬けになるんです。まず、単位を取らないといけなかった。
高校時代、洋楽が大好きだったんですが、あるときアメリカ西海岸で大きなロックフェスティバルが開かれたんです。ビッグアーティストが続々出てくる。こんなすごいイベントを誰が主催したのかと思ったら、アップルの創業者の一人、スティーブ・ウォズニアックだったんです。
会社が上場してお金持ちになった。でも土地を買ったりするんじゃなくて、100万ドルでロックフェスティバルをやったわけです。かっこいいと思いました。スティーブ・ウォズニアックが私財を投じて開催したことに感銘を受け、その影響でシリコンバレーやベンチャーの情報に興味を持つようになっていきました。
大学時代も西海岸の情報を手に入れたりしていたんですが、これが新卒でベンチャー企業に入社するきっかけになりました。就職活動では、周りにつられて金融やマスコミなど大きな会社も受けていて、内定ももらっていたけど結局、断ってしまって。
入社したベンチャーの何が魅力だったかというと、社員全員がアップルのマッキントッシュ(Mac)を使っていたことです。当時はMacは高額で高嶺の花。Macが使えるというだけで興味津々。ストックオプション(※)もあって、アメリカのベンチャーっぽさにひかれたんですね。
(※)従業員が予め決められた価格で自社株を購入できる権利
最初の仕事は企業のPR誌の制作でした。企画からプレゼンテーション、受注、納品、回収まで、すべての仕事を一人でやる。これは勉強になりました。ただ、会社全体を見ると、もうかってはいなかった。だから、給料も少なくて本当に貧乏でした。27歳まで、アパートに風呂がなくて銭湯通い。小さな会社のリスクを実感しましたね。
5年在籍しましたが、この間にシリコンバレーでは、インターネットが大きなうねりを作り始めていました。ヤフーの創業ももちろん知っていたんですが、そんな時にたまたま日本で募集広告に出合ったんです。日本では会社ができて2年目。僕は社員番号が53番でした。インターネットが好きな人ばかりが集まっている、という印象がありましたね。
入社当時で思い出すのは、よく会社に行っていたことです。ほとんど会社で過ごしていたんじゃないかな(笑)。それこそ当初、家にはエアコンがなかったし、会社に行けばインターネットが使い放題だったし、会社が一番居心地が良かったんです。
働く会社が変わるとこんなにも違うのか、と思うこともありました。企業に電話をかけると、アポイントがすぐに取れてしまう。しかも部長クラスがいきなり出てきたりする。肩書で仕事をするな、とはよく言われることですが、肩書はやっぱり偉大だと思いました。
最初は営業企画として、『Yahoo!ファイナンス』の立ち上げを担当しました。まったく異業種からの転職でしたし、当時はインターネットのサービス開発をやっている人なんてほとんどいない。もちろん、参考になる本もない。
右も左もわからない中で、締め切りだけが決まっていて、この時は正直、苦しくて毎日辞めたいとまで思っていました(笑)。そのくらいキツかったし、つらかった。でも、それは、仕事のやり方がわかっていなかったからなんですね。そもそも、誰もやったことがないことばかりでしたから。ところが、一度、大きなリリースを経験してしまうと、こんなものか、と思うようになるわけです(笑)。
しかも実績を作ると、会社というのは、どんどんいろんなことをやらせてくれる。会社の急成長と相まって、仕事が面白くて仕方がなくなっていきました。
大きな会社だから、社会的に大きなことができる
インターネットでサービスを作って人に使ってもらう。これは何物にも替え難い楽しさがあると思いました。数万人、数十万人、時には数百万人もの人が使ってくれる。会社の中にいて、アクセスログの数や推移を見ているだけでも十分インパクトはありましたが、僕はときどきオフ会に潜り込んだりしていたんですよね。
そうすると、『Yahoo!ファイナンス』は便利だよね、画期的だよね、なんて声が聞こえてきたりする。本当に使ってもらえているんだ、と実感ができて、ますますうれしくなりました。
ひとつの転機は5年目で事業部長になったことです。サービスを作るのが面白くて夢中になっていましたから、マネジメントにはまったく興味がなかったし、それが何なのかよくわかっていませんでした。
それまで7人ほどのチームを率いて、プロジェクトになると最大十数人で仕事をしたりしていました。ところが、部長になると部下が一気に50人くらいになる。担当する仕事領域も増える。僕は単純に、見る人も10倍、担当も10倍なんだから、自分も10倍働けばいいと思っていました。ところが、必死で頑張っても思うような結果が出せない。
ある人のアドバイスで1週間、休みを取ってアメリカに行きました。そこで現地の友達としゃべっているときに気がついたんです。自分が結果を出そうとするのではなくて、部下が結果を出すのをどう助けるのかが自分の仕事なんだ、と。ここから、仕事スタイルをがらりと変えました。
社長就任は大きな話題にしてもらいましたが、自分が社長になるなんて、実はまったく思っていなかったんですよね。考えたこともなかった。最初に話を聞いたときは、本当に自分で大丈夫か、と思いました。でも、井上雅博前社長や孫正義会長含めて、誰かの期待をもらっていたわけです。お前に背負わせたい、という人がいる以上はやらねばと思いました。
今、社長としてやらないといけない役割は、会社の舞台を整えることだと思っています。連結で社員は約8000人。みんながここで踊りたいと思える舞台を作る。人事制度しかり、会社施策しかり。自分のクリエイティブの方向性を、サービスやプロダクトからもっと人寄りに比重を移しているところです。
ヤフーから他社に転身した人もたくさんいますが、僕はそうしませんでした。やるなら、大きなところでやりたいと思っていたから。ベンチャーも経験しているので、小さな組織のデメリットも知っています。でも、それ以上に、社会的にインパクトのある大きなことをやりたい、という気持ちが大きいんです。100万人、1000万人単位の人を相手にする。そのためには、ある程度、大きな会社でないといけない。
逆にいえば、大きなことをやるために、大きな組織があるわけです。数千人も社員が群れているのに、ストレスを抱えて小さな仕事をやっていたのでは、こんな間抜けなことはないと思っています。そういう組織にしてはいけないし、大きなことをやれる会社でありたい。
たくさんの部下を見てきましたが、伸びる部下の共通点は、知的好奇心を途切れずに持ち続けていることだと思っています。面白いと思ったら、イベントでもセミナーでも、飛行機に乗ってでも行ってしまう。それこそ、学生みたいな感覚で楽しめるか、ということ。
人間は年をとると、近くにいる人とつるみたくなります。効率の名のもとに面倒なことをしたくなくなります。その方が楽だから。でも、やっぱり遠くにいる人にあえて会いに行ったり、DVDで見られるけど、わざわざ映画館に行くことが大事なんです。そして、その方が楽しい。意図的にそういうことができるか。いつも意識しておくといいと思います。
どうして仕事は面白いのか。それは、誰かに感謝されるからだと思うんです。「ありがとう」「いいサービスができたね」「最近、会社が働きやすくなったね」…。こういうひと言がうれしい。誰かを助けること、人のために何かをすることこそが、自分の満足にもつながる。
自己実現という言葉がありますが、自分だけでは自己実現はできないんですよ。そのために人を使う、というのもおかしい。なぜなら、そこには喜びはないから。誰かに喜んでもらう、感謝される。そういうところから発想していくと、仕事はますます面白いものになっていくと思います。
新人時代
2つの会社を経験していますが、いずれも、早く仕事を覚えたくてしょうがなかったですね。やったことのないことばかりでしたから、とにかくガムシャラに働いていました。バブル期で、みんながやれスキーだ、旅行だ、と言っている時に、とにかく仕事ばかりしていたので、20代は仕事の思い出しかないんです(笑)。
プライベート
もともと運動が大好きで、高校までは山登りをしていました。30歳を過ぎてから、再び運動をするようになって、ジムに通ったり、ジョギングを始めたりしました。今は山に登ったりして自然の中に行くのが、好きですね。そういうところで自分と向き合うと、いろんなことが見えてきたりする。とても大事にしている時間です。
取材・文/上阪徹 撮影/刑部友康
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