起業家インタビュー

Vol.8 八面六臂株式会社 代表取締役 松田雅也さん

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1980年生まれ。大阪府出身。2004年に京都大学法学部卒業後、銀行に就職。その後、独立系ベンチャーキャピタルに転職し、07年エナジーエージェント(現・八面六臂)を設立し、電力購買代理業を行うが収益が上がらず一旦は休業状態に。09年、総合物流ホールディングスが行う通信事業の立ち上げに参加。10年には再びエナジーエージェントに戻り、11年4月からITを駆使した生鮮食品のECサービスを開始する。

がむしゃらに働いて、心を失いそうになった

大学に入学してすぐにジャズビッグバンド活動を始めたので、学生時代はほとんど勉強しませんでした。その後、4年生になって中央官庁の国家公務員を目指したものの、試験に不合格。仕方なく留年し、翌年あらためて就職活動をすることに…。さまざまな業界の企業を受けに行きましたが、結局、たまたま先輩から熱心に誘われた大手銀行に就職しました。最後は勢いでしたが、当時の私は保守的で、世間体も気にしていたのでそういう選択をしたのかな、と今は思います。

 

実際に銀行に入ってみると、すぐに壁にぶつかりました。横を見てみれば隣には課長代理がいて、その横には課長、そして部長、支店長と並んでいる。先が見えてしまったと言いますか、こんなふうに生きていくのは、自分にとっては合わないかなと感じました。

 

結局、銀行は1年半くらいで辞めて、その後、転職活動中にふと見つけた小さなベンチャーキャピタルに入社しました。ベンチャーキャピタルは、良いベンチャー企業を探してお金を投資するのが仕事。そこでは学歴は一切関係なく、結果がすべて。時間も忘れるほどがむしゃらに働き、どんどん成果が出て認められていく中で給与も上がっていきました。そして半年ほどで取締役に就任させていただきました。とにかくめちゃくちゃ働いていて、それこそ終電を乗り過ごすまで働き、なかなか家に帰れなかったので、もう途中から1週間分の着替えを持って月曜日に出社するようになったり、移動中に駅のトイレで新聞紙を敷いて横になって仮眠を取っていたりしたこともありました。

 

このようなハードな働き方自体にはまったく問題はなかったのですが、当時の社長と徐々にコミュニケーションがうまくいかなくなっていきました。特に組織や社風、マネジメントについてですね。なんというか温かみがなかったというか。そしてそんな中、心が殺ばつとしてきて自分がロボットようになっていくことに気がついてしまいました。ある時、中途採用の面接をした方から「そんな会社では働きたくありません」といった内容の長いメールが送られてきて、たしかにそうだよな、と思いました。そしてそれを機に辞任を決意し、今度は自分で自分なりのベンチャー企業を立ち上げてみようと思って設立したのが、今の八面六臂の元となるエナジーエージェントという会社です。

 

電気の販売はまったくうまくいかず。しかし電話回線の販売で何とか食いぶちを稼ぐ

世の中には、自社の製鉄所で作った余剰電気を販売している会社や、火力発電所を持って売電している会社など、PPSと呼ばれる民間電力会社がいくつかあるのですが、当時それらの会社はほとんど認知されていませんでした。そこで、そうした会社の電力プランを販売代理すれば事業にできるのではないかと考えました。今から思えば机上の空論だらけでしたが、あれこれ企画書を作り、電力会社、そしてビルオーナーやホテルなどの顧客候補に営業に行きました。

 

しかし、これがまったく売れない。いや、売れないというよりそもそも相手にされない。信用も何もない会社から急に「電気売ってくれませんか?」「電気買ってくれませんか?」と言われても、契約なんかできないし、当然ですよね。まず、「誰だお前は!」という状態ですから(笑)。商いにおける「信用」をよく理解していない甘さでした。

 

それに、「電気を売る」という事業には何の付加価値もなくて、契約しても顧客の経費が数パーセント下がるだけです。さらに、ものすごく苦労して営業して契約しても、私の会社が得る手数料はその数パーセントから出る薄利だけ。そうこうしているうちに、資本金300万円で会社を始めて、オフィスの家賃や営業費や生活費で毎月50万円ずつ支出がありましたので、5カ月後、お金が底を尽きつつありました。

 

そこでとりあえずすぐに稼げる仕事をしなくては、ということで、電話回線の販売代理店になりました。すると、これが順調に売れていき、当時は回線を1つ売るごとに数万円くらいもらえましたので、ちょっと大きな企業に行って10回線や20回線売れると、一気に数十万円。売り上げは不安定ながら、電気を売る事業と比較するとそれなりの収入を得られるようになりました。

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自分で商品を仕入れて売るという、大きな決断

やがて固定電話だけでなく携帯電話も販売し始めました。そんな中、銀行員時代の知人から紹介された方が通信事業会社を立ち上げるということを聞き、代理店で販売する側ではなく、代理店に販売させる側になれるチャンスだな、と思い、まずは業務委託でその事業に協力させてもらい、その後、役員として正式に参画することになりました。また、けじめをつけるということで、自分の会社は一旦休業としました。

 

いろいろと事業の立ち上げは苦労しましたが、それまで一人でヒイヒイ言いながら数百万円の売上高をつくっていたのに、すぐに数千万円、1億円、数億円と、売上高が伸びていきました。それに、大企業のグループ会社でしたので、いろいろな先輩方から、お金と人を使ってどうやって事業を伸ばしていくのかをたくさん勉強させていただきましたね。

 

売り上げは順調に伸びていったのですが、親会社があっての子会社でしたので、事業の方向性や人事方針などで、自分の思惑とは違うことや、納得がいかないことなども徐々に出てきました。そして2010年8月、30歳になったタイミングで、あらためて自分自身の会社で事業を始めるべきだと思い、9月末で退職し、自分の会社を10月より再開することにしたのです。

 

これだけいろいろな経験をしてきたので、次は自分の人生を懸けることができる事業をやりたいと思い、いろいろと調べました。その中の一つが「ITを使った生鮮食品の流通」です。通信事業会社にいた時に、食品関係の人たちと接点を持つことがあり、特に水産業の現場にはまだまだITがきちんと導入されていないので、チャンスがあると実感。その当時は適切なハードウェアがなくて事業化が難しいという結論に至ったのですが、その後、iPhoneやiPadといったハードウェアが爆発的に普及しだし、今後はこれまでインターネットの恩恵を受けていなかった業界にも変革の波は訪れるだろうと思いました。

 

ところが、水産流通会社が飲食店の料理人に商品を容易に販売できるASPサービス(企業が業務を効率化するためのITシステム)を提供し、その対価として水産流通会社から手数料をもらおうという当初のビジネスモデルは、全然うまくいきませんでした。飲食店の人たちはいいサービスだね、とおっしゃってくれるのですが、水産流通会社での利用が全然進まなかったのです。そこで、「せっかく便利なツールを開発したのにおかしい…。じゃあ一度、自分で売ってみよう」ということで、自分で魚を仕入れて飲食店に直接売りに行ったところ、なんと比較的簡単に売ることができたのです。

 

そこで、自分で商品を仕入れて、販売用のWebサイトを通じて飲食店に販売するビジネスモデルに変えました。「勝手に売ってください」「買ってください」ではないので、商品のことも、飲食店のことも詳しくならないといけませんし、そもそも取引してくれるお客さまを見つけるためのマーケティングも必要。さらに注文が入ってきたらすぐに対応しないといけないし、在庫を抱えるリスクもあります。何よりも昼夜が逆転する生活を受け入れなくてはいけません。商取引の間に自分で入って商売をするというのは、とても覚悟のいる決断でした。

 

シンプルなビジネスモデルの中に、現場のノウハウが詰まっている

その後、社名も現在の「八面六臂株式会社」に変更。八面六臂(はちめんろっぴ)とは「多方面にかかわって活躍する」という意味の言葉で、流通の川上にいる生産者にも、川下にいる飲食店や消費者にも価値を提供するという、私たちの想いが込められています。それに、商標登録やドメイン取得をするために、ほかではあまり使われていない言葉を選んだという理由もあります。

 

私たちの事業の強みは、既存流通会社がこれまで流通させられていなかった少量多品種の生鮮食品を取り扱っているということです。例えば、大手の飲食チェーン店は、安定した仕入れができないと困ります。ですから、欠品するリスクが低く、有名で大量に作られている食材しか基本的には扱いません。大手のスーパーなども同じです。そういった都合に合わせて既存の流通会社が商品を流通させているうちに、徐々に生産者側や産地側としてはちょっとだけ取れたおいしい魚や野菜を売ることができなくなってしまったわけです。一方で、個人で経営している飲食店は、本当はどこにでもあるような魚よりも「どこどこ産のこういう魚」といった食材を少しだけ仕入れたいと考えています。当社はそういった流通のあり方を変革し、生産者と飲食店をつないでいます。

 

私たちのWebサイトを見ていただくと、鯛や茄子といった身近な食材でも、実はかなりたくさんの種類があることがわかると思います。その一つひとつが「食文化」なのですが、これまではそれを商品として、そして何よりも情報を流通させられていなかったのです。

 

このように文字で書くと、やっていることはすごくシンプルに見えるかもしれませんが、細かいところにたくさんのノウハウが詰まっていて、どの食材をどれくらい仕入れるか、どれだけ早く飲食店に届けるか、注文が入ったらどうやって出荷するかなど、私たちだからこそできることがたくさんあります。それに、飲食店の方はiPhoneやiPad、パソコンで注文していますが、漁師さんのほとんどはFAXやLINEで獲れた魚のデータを送ってきますので、それを当社の商品データとしてサイトに載せるのは当社の仕事です。そこにもスピードを損なわないオペレーションのノウハウがいろいろあります。現在は飲食店までの配送物流もやっていますので、トラックドライバーのマネジメントも必要です。こういったオペレーションのスピード感やノウハウ、顧客資産や仕入先資産は、競合である大企業やベンチャー企業が真似しようと思っても、すぐに真似できるものではありません。現場を大切にし、それぞれの現場での経験を少しずつ積み重ねてきたからこそ可能なことですし、すべての企業は当社が歩んできた道のりを後追いしなければいけないのです。そういう意味では先行している、そして先行し続けることがとても大事なのです。

 

ちなみに、当社にも一時期、会社が大企業病のような状態になってしまったことがあるのですが、その時はやはり多くの従業員が現場を軽んじていました。本社の会議室で話をしていても、仕事はうまくいきません。産地やフルフィルメントセンター(配送の管理や商品のピッキングをする拠点)へ実際へ行き、商品を知り、そしてお客さまと接することでしか、事業は改善されていかないのだと思います。

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これから社会に出る皆さんへ

「ゆとり世代」なんて言われることもあるみたいですけど、私は今の学生の方がよっぽど柔軟な人が多いと思います。カッコ悪い大人が多いと言いますか…。最後は自己責任なので、誰かに言われた通りにする必要はないんじゃないでしょうか。大人からいろいろなことを言われることがあると思いますが、気にせず行動した方がいいかもしれませんね。何をするのも本人の自由です。そしてあなた本人の責任です。

 

また世間体も気にしなくていいと思います。周りからどう見られているかなんて関係ありません。私も今の事業を始めた当初は、同窓会で「朝5時から軽トラで魚を買いに行ってます」なんて言うと周りがスーッと引いていくのがわかりましたけど(笑)、そんなことを気にしていたら何かを成し遂げることはできません。

 

松田さんHISTORY

2004年
銀行に就職。
2005年
独立系ベンチャーキャピタルに転職。ベンチャー企業への投資だけでなく、コンサルティングや人材紹介サービスなども行う。半年後取締役に就任。
2007年
エナジーエージェント株式会社(現・八面六臂株式会社)を設立して電力購買代理業を行うが、うまくいかず、電話回線販売事業に切り替える。
2009年
MVNO事業(物理的な回線は他社から借りて自社ブランドの通信サービスを提供)を行うIT企業の立ち上げに参画。この間、自分の会社は休業状態に。
2010年
退職して、自社で水産流通会社向けのASPサービス事業を立ち上げる。
2011年
自社で食材を直接買い付けて販売するビジネスモデルにチェンジし、鮮魚だけでなく、肉・野菜・調味料など扱う商品の幅も広げる。社名を八面六臂株式会社に変更。

 

愛読書は?

『経営の思いがけないコツ』(日本経営合理化協会出版局/税抜き9800円)です。著者は一倉定(いちくらさだむ)さんという経営コンサルタントの方で、経営者に対してかなり厳しい指導をされていたことで有名な方です。指導した社数はおよそ5000。会社の業績はすべて社長によって決まるという信念をお持ちで、「ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな」とおっしゃっています。この本の一部を額に入れて、社長室に飾っています。

 

松田さんの愛用品

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チタンで作られたOMEGA製のSeamaster PROFESSIONALです。大学時代、アルバイトで貯金して購入したHONDAのShadowというバイクを、3年ほど前に車検のお金がなかったので売却したのですが、その魂を受け継ぐものとして、売却代金にて中古購入しました。僕の好きな言葉「質実剛健」を地で行く時計で、24時間いつも一緒です。今後、別の腕時計を買うことはないと思うほど、気に入ってます。

取材・文/芳野真弥 撮影/臼田尚史

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