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起業家インタビュー

Vol.10 株式会社ボルテージ 代表取締役会長 津谷祐司さん

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1963年福井県生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業後、博報堂に入社。93年から3年半、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)映画学部大学院に自費留学。99年、博報堂を退職し、株式会社ボルテージを設立。映画製作を試みる一方、制作した携帯コンテンツが高い評価を得る。着メロ事業などのヒットを経て、「恋ゲーム(現: 恋愛ドラマアプリ)」事業をスタートさせ、ブレイク。年商100億円超、東証1部上場に導く。著書に『コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。』(幻冬舎 1400円税抜き)など。会社について書かれた書籍に『「胸キュン」で100億円』(KADOKAWA 1300円税抜き)。

何かを作る、自分で表現する仕事がしたかった

実家が60年続いた繊維工場でした。新しい工場を造ったりするために銀行からお金を借りたりしますから、夕食時の話題が億単位の借り入れの話、なんてことも珍しいことではありませんでした。商品がなかなか売れなかったり、返品として戻ってきてしまったり、父親がトラックに乗って納品に行ったり、従業員を迎えに行ったりするなど、いろんな姿を子どもながらに見ていましたね。

 

のちの起業は、親が会社員ではなかった、ということも影響していると思います。たしかに大変さはあったと思いますが、やっぱりダイナミックな仕事をしようと思うなら、自分で事業をやった方がいい、という気持ちは強烈に植え付けられた気がします。

 

ただ、だからといって、企業で働くことについて否定したりはしていませんでした。実際、自分も大企業で働くことになりました。
もともとモノを作るのが好きで、何かを作る仕事をやってみたかった。子どものころは、ロボットやロケットが興味の対象でしたが、大人になって、もうちょっと哲学的なものに興味が向かうようになりました。何かを自分で表現することもそのひとつ。大学では建築系の勉強をしていたこともあり、就職のときには、博覧会系の仕事がしたいと考えて、博報堂を志望しました。
入社できたときは、うれしかったですね。メディアを通して、世の中に自分の作ったものを送り出せる。楽しい仕事だと思いました。

 

ただ、広告会社の仕事は、自分が実際に手を動かして作るのではなく、企画することが中心なんです。実際に作るのは、外部の会社。アイデアを出したり、企画を決めたり、お金やスケジュールを管理したりするのが、自分たちの仕事になる。大きな仕事ほど、そうなります。
これがだんだん、欲求不満に結び付くんです。最後まで自分で作りたい、と。やがて留学したい、会社を辞やめて映画づくりをしたい、という思いにつながっていきました。

 

留学は、社会人2年目に、学生時代の仲間とスキー旅行に行ったことがきっかけでした。外資系のコンサルティング会社に勤めていた友人が、MBA取得のため留学をするというんです。そのとき初めて、留学という選択肢があることに気づきました。ちょっと仕事に行き詰まっていた時期だったので、面白そうだな、と思ったんです。
ただ、ビジネススクールでいろんな学問を学んでくる、というのは興味がありませんでした。そこで、どんな学部があるのか調べているときに出合ったのが、映画だったんです。フィルムスクールは日本にはあまりありませんし、一気に興味に火がついたんです。

 

留学から帰国後、博報堂で新規事業担当に提案

留学したUCLAの映画学科は、監督コースに合格できるのが、年間わずか20人。ここに世界中から数百人が殺到します。超難関です。結局、仕事をしながら準備をし、2回の不合格を経て3年を要してようやく合格。映画を学ぶことができました。
行ってみて、ハリウッドの厳しい現実も知りました。周辺のカフェでは、やたらイケメンや美女の店員が多いんですが、みんな俳優志望なんです。アルバイトをしながら、夢を追いかけている。しかし、かなうのは1パーセントあるかないか。シリコンバレーのベンチャーも現実は厳しいですが、もうちょっと確率は上かもしれません。

 

映画は直接、仕事には関係がありませんから、休職して自費での留学でした。お金を稼がないといけなくて、アメリカで自分でビデオ販売などのビジネスをしたりもしました。結果的にはうまくいきませんでした。ビジネスに成功すれば、もう少し長くアメリカで過ごし、フィルムスクールで学んだことを生かして、商用映画でデビューしたかった。しかし、それもかなわず、足かけ3年の留学生活は終わりました。
帰国して博報堂に戻り、新規事業を提案しました。ベンチャービジネスを作る仕事です。アメリカでビジネスを自分でやっていたりしましたから、その経験を生かしたかった。

 

大企業が組織でやる仕事は、ある程度、仕組みがもう確立しています。でも、ベンチャービジネスはまったく違います。相当シビアに考えないといけない。僕には経験があったから、事業計画書も、かなりリアリティのあるものを作ることができた。
同じタイミングで新規事業開発の仕事をした同僚は、「こんな現実的ではないアイデアを作って」と上司に怒られたりしていました。売ることを考えず、作ることしか考えていないと、そうなるんです。

 

ただ、大企業の社内ベンチャーには難しさがあります。なぜなら、事業を審査し、評価する人たちが会社員なんですから。事業を作り出した経験がない人が、ベンチャービジネスを判断するのは、極めて難しい。実際、ようやくスタートしてうまくいき始めた事業が、上司が変わった途端に、あっという間に打ち切られてしまいました。これが、もう会社を辞めようと決断したきっかけです。36歳になっていました。

 

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4年間、ヒットが出ない、という苦しみ

仕事をしながら映画の脚本を書き進めていて、ちょうど一本、でき上がっていたんですね。そこで、映画の配給会社に企画を売り込んでみようと思いました。ところが、どこも相手にしてくれない。仕方がないので、自主的に作ろうと考えました。
ただ、もちろんお金が必要になるし、生活もしないといけない。そんなときに出合ったのが、携帯ゲームの制作でした。通信キャリアが月100万円で契約してくれるという。これで最低限、食べていける、とやってみることにしたんです。

 

映画づくりの手法を使って携帯ゲームを作ると、高い評価を受けました。出資させてほしい、というベンチャーキャピタルが次々に現れて、出資総額は3億円にもなりました。ところが、ここから4年間、大変な日々を過ごすことになるんです。
なかなかヒットが出ない。お金が稼げない。出資してもらったお金はみるみる減っていって、あと1年しか持たない、という状況になったのが4年目。ここで、最後の勝負だ、とオフィスを引っ越し、人を新たに雇って挑んだのが、着メロ事業でした。

 

映画を学んだ経験があったので、ストーリーゲームにこだわっていました。うまくいかなかったのは、ここにこだわり過ぎたからだったのだと思います。たしかにそれは自分たちの強みでしたが、業界のトレンドは違っていた。当時は、着メロだったんです。
大事なことは、業界のトレンドと自分たちの強みをミックスさせ、接点を見つけることでした。そこに気づいて生まれたのが、歌詞に特化したドラマ性のある着メロでした。これが大ヒットするんです。

 

苦しい時期を経て、事業をうまくやっていくには3つの要素が重要になる、ということがわかりました。商品と販売と組織です。
まずは売れる商品を作らないといけない。手応えのあるもの。当時でいえば、ドラマ性のある着メロです。自分たちの強みを出せた商品。
そして次が、販売。いかにユーザーに近づけるか。その手法のひとつが、広告です。広告をいかに出すか。広告会社にいましたが、広告のことをまったくわかっていないことに気づきました。大規模なテレビなどのマス広告が打てるのは、一部の企業だけ。小規模な雑誌やデジタルメディアの広告が、よくわからなかった。これを徹底的に試行錯誤しながら、方法論を導き出していきました。

 

そして3つ目が、組織です。もっと言えば、採用。当初は中途採用で人を集めていましたが、当時はどうにもおさまりがよくなかった。もっと優秀な人材が欲しかった。そこで、新卒採用に切り替えるんです。ポテンシャルのある人材を採用して、育てていく。この決断が、会社を大きく変えることになりました。

 

初めての恋ゲームは、新卒第1期生から

新卒の募集をすると、たくさんの応募がありました。有名大学の出身者もたくさん来てくれた。気がついたのは、優秀な女性が数多く応募してくれることでした。男性に比べ、女性は大企業志向があまりないんですね。まだ女性に対して閉鎖的な会社もある、ということに勘づいているからかもしれません。おかげで、優秀な女性をたくさん採用できた。
のちに事業の中心になっていく恋愛シミュレーションゲームも、こうして採用した新卒1期生の女性のアイデアがベースになっています。当時は着メロ事業が中心でしたが、新しい事業を全社員から求めたんですね。そのとき、彼女が自分の趣味だった恋愛ゲームの企画を出してきたんです。

 

恋愛ゲームというアイデアに、会社の強みである映画のストーリー性をミックスして、ゲームを作りました。これが、びっくりするほどのユーザーの支持を集めたんです。
ゲームのアイデアだけがあっても、いいシミュレーションゲームは作れません。そこで、世界観づくりやプロットづくり、キャラクターづくりなど、映画づくりで持っていた知識やノウハウを社内で共有するようにしました。そこに、女性たちの感性を組み合わせて次々にゲームを作っていった。これが、ほかの恋愛ゲームとは違う、と支持してもらえたんですね。

 

振り返ってみたら、創業以来、蓄積してきたことの集大成が、恋愛シミュレーションゲームだったんだと思います。自分たちの大きな強みを生かせる領域に、たどりつくことができた。そして、経営資源を集中させていきました。
女性向けゲームの成功を見て、参入してくる会社もありましたが、数百人の人材を投入して、ここまで集中する会社はなかった。また、2006年からのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の波、12年からのスマートフォンの波にも、社内をうまく変化させていくことで、対応することができた。

 

恋愛ゲームは次々に出していきました。どうしてそんな量産できるのか、と問われることがありますが、ひとつ理由があります。それは、映画づくりの手法をベースにゲーム制作のフォーマットを社内で確立させてきたからです。そしてフォーマットは進化させ続けてきた。
これがあれば、新入社員でもゲームを作れます。実際、入社してすぐに第一線でバリバリ作っている人も多い。フォーマットがあるから、感性を存分に生かすことができるんです。実際、ここまで作りやすくなるのか、と自分たちも実感しています。

 

ゲーム会社というと、大きなヒットを出しても3、4年でピークが来てしまう、というイメージを持っている人もいるようですが、ボルテージは違います。毎年約3割の売り上げアップという成長を、もう8年間続けている、ゲーム業界では稀有(けう)な会社だと言われています。

 

ただ、これまでの成功に安住していることはできません。今後は、新しいチャレンジをしていきます。男性向けのサスペンスゲームの制作や英語版の制作など、新しい取り組みも始まっています。新たな市場を求めていくためにも、積極的に自分たちを変えていかねば、と考えています。僕自身、ここ数年はシリコンバレーのあるサンフランシスコに拠点を移し、北米市場の開拓にチェレンジしているんです。

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これから社会に出る皆さんへ

うまくいかない苦しい時期、いつもやっていたのが、「書く」ことでした。今、起こっていることを、どんどん書いていく。そうすると、頭が整理されていくんですね。不安があっても、次に何をすべきか、という行動に落とし込むことができれば、安心することができます。こうした「書く」ことの意義を、ぜひ知ってほしいと思います。

 

振り返ってみると、就職活動のときも、とにかく書いていました。面接のQ&Aシートを自分で作ってみる。どうして自分はこの業界に行きたいのか、自分で自分に手紙を書いてみる。そうすることで、冷静になれたりする。自分の本心が見えてきたりする。自分で手を動かして書くからこそ、できることだと思っています。

 

企画やアイデアを考えるときにも、必ずペンを使って書いています。今もそうです。考えて、書いて、整理して、やるべきことを決めて実行する。このフローを押し進めていくためにも、書くことが大事。
常にノートとペンを持っておいて、書いてみることです。

 

人生の大きな転機は、留学でやってきたと思っています。もちろん映画を学ぶことができた、ということもそうですが、まったく違う世界で、まったく違う価値観に触れることができた、というのが大きかったと考えています。
いつもと違う場所に身を置き、いつもと違う空気を吸うことで、新しい世界が広がります。可能性を感じられるし、勇気もわいてくる。
社会人になってからの長期の留学も選択肢のひとつですが、学生時代でも一週間から留学できる。それだけでも、行く価値は大きいと思います。

 

社会に出たら大事なことは、勉強する気持ちを忘れないことです。アメリカでも、自己投資をしない人間から落ちていく現実を見ました。これは日本も同じ。会社の仕組みを理解することは大切ですが、意味のないお作法を学んでも仕方がありません。
そうではなくて、外で戦える自分のスキルを身につける意識を持つこと。留学もそうですし、大学院で学ぶことも選択肢のひとつ。それは、のちにきっと生きてきます。

 

津谷さんHISTORY

1985年
東京大学工学部都市工学科卒業。博報堂入社。主に空間プロデューサーとして活動。
1993年
UCLA映画学部大学院 監督コースに自費留学。(卒業作品の編集を完了させ、2002年に卒業)
1997年
博報堂の社内ベンチャーでインターネット事業「おでかけナビ」を起業。
1999年
ボルテージ設立。
2003年
iモード公式サイト向けコンテンツ「歌詞で胸キュン!」配信開始。大ヒット。
2006年
iモード公式サイト向けコンテンツ「恋人はNo.1ホスト」の配信開始。「恋ゲーム」コンテンツ開始。映画『Wanna be FREE! 東京ガール』監督。
2010年
東京証券取引所マザーズ上場。(2011年に東証1部へ市場変更)
2012年
米国・サンフランシスコにVoltage Entertainment USA, Inc.を設立。その後、自身も拠点を移す。

 

愛読書は?

社会人になったら定年までの40年タームで見るのではなく、もっと小さな5年タームで仕事を意識していった方がいい、という持論を持っています。5年ごとに自分でゴールを設定し、そこに向かっていく。5年契約ビジネスパーソン、みたいなイメージでしょうか。この5年間で、こんな仕事をしたい、でもいいし、仕事をしながらこんなことを身につけたい、でもいい。偶然、最近読んだ本に、この考え方に似た話が載っていました。『働く人のためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著)。とても良い本だったので、学生の皆さんにもお勧めしたいです。

 

津谷さんの愛用品

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方眼紙のノートとペンは必ず持ち歩いています。カフェに入ると、ノートパソコンで仕事をしている人がいますが、それは違うと思っています。カフェという異空間で、作業のような仕事をしたらもったいない。それよりも外が見えるところに座って、自由に発想して、アイデアを書き出す時間にする。せっかくカフェに行くなら、考える時間にした方がいい。そのときに役に立つのが、書き心地のいいノートとペンです。ペンは、立てられる筆箱に入れて持ち運んでいます。なぜか、企画を考えるときには、青色がいい。お気に入りのノートとペンをぜひ探してみてほしいですね

 

取材・文/上阪徹 撮影/刑部友康

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