仕事とは?

Vol.233 <前編>藤岡 奈穂子

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ふじおか・なおこ●1975年、宮城県生まれ。古川女子高校(現・古川黎明高校)卒業後、ソフトボール選手として地元の実業団に入団。5度の国体出場を果たす。24歳からボクシングを始め、2000年アマチュアデビュー戦で勝ち、新人王を獲得。アマチュア時代は23戦20勝3敗(12K.O.)の実績を収める。2009年、後楽園ホールにてプロデビュー戦に勝利。2011年5月、WBC女子世界ストロー級チャンピオンに(35歳8カ月20日での世界王座獲得は当時日本最年長記録)。以後、WBAスーパー・フライ級(2013年11月)、WBOバンタム級(2015年10月)で女子世界王座獲得。2017年3月にはWBA女子世界フライ級王座決定戦でイサベル・ミジャン選手(メキシコ)を10回21秒T.K.O.勝ち(K.O.)で下し、男女通じて日本人初となる4階級制覇を果たした。竹原慎二&畑山隆則ボクサ・フィットネス・ジム所属。

公式ブログ・藤岡奈穂子NOW or NEVER  https://ameblo.jp/fujiokanaoko/

ソフトボール選手として挫折を経験。自信を取り戻したかった

-もともとはソフトボールの選手として活躍されていたんですよね?

子どものころによく父とキャッチボールをやっていて、本当は野球がやりたかったんです。でも、当時は女子が少年野球をやれる雰囲気ではなかったので、ソフトボールを始めました。やってみたら夢中になり、オリンピック出場を目標にしていましたが、高校を卒業する時に強豪の実業団からのスカウトはなく、地元・宮城の実業団に入りました。できたばかりの小さなチームで、自分にもオリンピックに出るほどの実力はなく、悶々(もんもん)とした時期もありましたね。それでも主将として一生懸命チームづくりに取り組んでいたのですが、チームの方針について議論中に、社長から「おまえの代わりなんていくらでもいる」と言われて。「自分は“駒”にすぎないんだ」とむなしくなって5年勤めた会社を辞め、ソフトボール選手としても引退してしまったんです。

 

-その後、なぜボクシングを?

すぐにボクシングを始めたわけではないんです。それまでソフトボールしかやってこなかったので、やめた直後は気力が出ず、ダラダラと過ごしていました。でも、このまま人生を送るのはつまらないなあと感じるようになり、自信を取り戻すために、何か個人競技を始めようと考えました。“駒”ではなく、自分にしかできないもので一番を目指したかったんです。そんな時にたまたま地元の情報誌に「男女練習生募集中」というボクシングジムの広告を見つけ、ボクシングなら23歳の今からでも一番になれるかもしれないと思いました。たいていの個人競技は小さいころからやっている人がたくさんいて勝ち目がないけれど、女子でボクシングをやっているという人はあまり聞かないから、望みがあるんじゃないかと。

 

当時は女子ボクシングがまだアマチュアの連盟でも公式には認められていない時代。ジムに電話し、「試合に出たいんですけど」と話したら、「女子の大会があるかどうかはわからないなあ」と言われました。「そもそも、そんなにすぐには試合に出られないよ」と笑われましたが、ジムの会長さんが女子ボクシングについて調べてくれて、「どうも大会ができたばかりらしい」と。それで、「取りあえず、練習してみれば?」ということで入会したんです。公民館の一部を間借りしたアマチュアジムで、ボクシングらしき設備はサンドバッグくらい。リングはありませんでした。

 

-格闘技に興味はあったんですか?

まったくなかったです(笑)。でも、やってみると、意外に奥深くてハマりました。打つだけだったら簡単なのですが、ディフェンスもあり、攻防には瞬時の判断が求められる。そこが面白いなと。よく動体視力が重要なんて言いますけど、パンチはサッと来ますからね。いちいち見ていたら、よけられません。ジムに女性はいなかったので、スパーリング相手はみんな男性で、最初は毎回ボコボコにされていました。それでも挑戦したいと思ったのは、ボクシングというものが自分の性に合っていると感じたからです。ボクシングの練習は走ったり、シャドーボクシングをやったり、ジャブばかり打ったりと地味なことばかりなのですが、自分は飽きずにやれていたので、向いているのかもしれないなと思ったんです。

 

やらないで後悔するくらいなら、やって後悔する方がいい

-初めて試合に出たのは?

ジムに入って1年ほどして全日本アマチュアボクシング選手権大会でデビューしました。相手は現在もプロボクサーとして活躍している好川菜々選手。鍛えた体に髪を編み込みにし、外国人選手から花束を受け取ったりと威圧感たっぷりでした。片や自分は“公民館ジム”で練習してきて、リングに上がるのも初めて。「どうしよう」と思いましたが、ゴングが鳴ったら無我夢中で、気がついたらK.O.勝ちでした。その時に、「わ、ボクシングってやっぱり面白い」と思いました。

 

-その後、アマチュアとして活躍。2008年に日本ボクシングコミッションが女子プロを公認し、ほかの選手たちがプロに転向する中、藤岡さんはアマチュアにとどまり、現在所属する竹原慎二&畑山隆則ボクサ・フィットネス・ジムからスカウトがあった時も最初は迷われたそうですね。

当時は佐川急便のドライバーとして働きながらボクシングをやっていて、仕事でもある程度評価してもらっていました。すでに33歳でしたから、それまでの生活を捨てて東京で暮らすのは怖かったんです。でも、スカウトのお誘いを断ったら、アマチュア時代の仲間たちが活躍する姿を見るたびに「自分がやっていたら、チャンピオンになっていたかも」なんて思いながら日々を過ごすことになるかもしれない。そんな人生は送りたくありませんでした。やらないで後悔するくらいなら、やって後悔する方がいいと思って、プロ転向を決心しました。

 

結果を出せるようになって、人に感謝することを学べた

―プロに転向して2年後、2011年5月にはWBC女子世界ストロー級(別称ミニ・フライ級。上限体重47.62キロ)チャンピオンに挑戦し、勝利。当時はどのようなご心境でしたか?

実は、あまり世界チャンピオンになりたいとは思っていなかったんです。というのも、チャンピオンになった後は「防衛して、負けたら引退」というイメージしか思い浮かばず、先がない気がしていたんですね。それよりは、ボクシングを続けたいから、チャンピオンにならない方がいいんじゃないかと。そんな気持ちのままこのタイトルマッチが開催予定だった3月11日を迎えたのですが、調印(試合前に選手やルール、使用するグローブなどを確認すること)も計量も済ませ、いざリングへという段階で東日本大震災が発生。試合が中止になりました。地元の被害も大きく、心配していた時に試合が5月に再セットされることになりました。「ボクシングどころじゃないかもしれないな」と思いつつ地元の後援会の皆さんに伝えたら、自分たちのことで大変な時期なのに「今は藤岡さんの試合しか楽しみがないから、頑張って」と応援してくれたんです。それを聞いた時に、「絶対にチャンピオンにならなければダメだ」と初めて思いました。だから、5月の試合で勝てた瞬間は「チャンピオンになった喜び」ではなく「チャンピオンにしてもらった喜び」を感じました。

 

リングで闘うようになって、ボクシング選手は1人では闘えないということを知りました。スパーリング相手がいなければ練習できないし、トレーナーやジムの先輩や仲間たち、後援会の皆さんなどたくさんの人たちに支えられている。ボクシングで結果を出せるようになって良かったのは、人に感謝をするということを学べたことです。今ではソフトボール選手として所属していた実業団の社長にも感謝をしています。正直、恨んでいたし、「コノヤロウ。いつか見返してやる」と思っていたんですよ。でも、初めて試合で勝った時に思ったんです。社長のあの言葉でソフトボールをやめていなかったら、ボクサーとして今こうしてここに立つことはなかった。ありがたいなって。

 

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後編では4階級制覇の裏にある思いや、女子ボクシング界発展のための活動についてお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 9月20日更新予定)

 

INFORMATION

藤岡さんが所属する「竹原慎二&畑山隆則ボクサ・フィットネス・ジム」(http://box-fitness-gym.com/pc/)では、男女問わず、小学生から大人まで幅広い年齢層の会員がトレーニングに取り組んでいる。ダンス感覚で楽しめるボクササイズも人気で、ダイエットや運動不足解消などを目的に通う人も多いとか。元世界チャンピオンの竹原慎二さん、畑山隆則さんの両名による直接指導も定期的に行っている。

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取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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