郡 美矢さん(牧師・国際手話通訳者)の「仕事とは?」

こおりみや・1970年徳島県生まれ。筑波大学附属聴覚特別支援学校歯科技工科卒業。92年、歯科技工士として3年間カナダのバンクーバーに滞在。その後アメリカのノースセントラル大学(神学)に入学、ろうクリスチャン教育を専攻。99年4月米国アッセンブリー教団教職の免許取得。同年5月大学卒業。シカゴに移り、約2年間ろう教会で奉仕活動。貧しい黒人のろう者のためのボランティア活動として社会生活での自立や劇などの指導や日曜学校の指導にあたる。2006年に帰国。兵庫県但馬神愛キリスト教会、広島県三滝グリーンチャペルで牧師を務める一方で、国際手話通訳者としても活躍している。

「ろう者の仕事はこれ」と決めつけられるのはイヤだった

私は生まれつき耳が聞こえませんが、「ろう者だから不幸」と感じたことがありません。デフファミリー(ろうの家族)に生まれ、ろうであることに劣等感を持たない両親の姿を見て育ったからだと思います。両親は共働きで忙しかったので、小学生のころからお手伝いをよくしました。ふたりの兄と3人でごはん当番を割り当てて、私はお米をとぐ担当。おかげで、見かけによらず料理はプロ級です(笑)。父と一緒に自転車のパンクの修理をしたこともあります。日曜大工のお店に行って修理テープを買ってきて、タイヤを水につけて破れた部分を探し、貼るんです。自転車屋さんにお願いしなくても自分で修理できることをすごく楽しく感じました。「たいていのことは、自分でできる」と幼いころから肌で感じることができたのは、本当に恵まれていたと思います。

小学校6年生の時にろう学校から公立小学校に転校し、中学、高校と聴者の同級生と一緒に学生生活を送りました。将来の仕事について意識するようになったのは、高校時代。薬剤師になりたくて、大学の薬学部を目指して理系の勉強をしていました。ところが、高校2年生の時、ろう者は薬剤師になれないことがわかりました。当時の法律では、ろう者への薬剤師免許の交付が認められていなかったんです。

ショックでした。同級生たちは自由に進路を選べるのに、ろう者は選択肢が限られている。「努力をして聴者と同じ学校で学んできたことに意味はあったのだろうか」と思いました。でも、立ち止まってはいられません。「それでは、何をしよう。私はどう生きたいんだろう」と自問自答し、漠然と「海外で働きたい」と夢を描きました。そのために“手に職”を持った方がいいと考えて筑波大学附属聴覚特別支援学校の歯科技工科に進学。就職活動にあたり担任の先生に「海外で働きたい」と相談したところ、「現実を見なさい」と反対されましたが、あきらめる気はありませんでした。

休日にアポなしでスウェーデン、アメリカ、カナダ、スペインの大使館をひとりで訪問し、筆談で「本国にろう者でも働ける仕事はありますか?」と交渉。振り返れば、向こう見ずだったなと思いますが、大使館の方々は親身になって対応してくださり、勇気づけられました。その後、卒業間近になって歯科技工士向けの雑誌で「カナダで経験豊富な歯科技工士募集」という記事を発見。日本の歯科技工の技術は国際的に評価されており、カナダでも需要があったのです。すぐに雑誌を持って職員室にかけこんだところ、同級生全員が就職の決まった卒業間近まで孤軍奮闘している私を見て担任の先生も理解をしてくださったのでしょう。全面的に協力してくださり、カナダの歯科ラボへの就職が決まりました。

カナダに渡った当初は筆談の英語もつたなく、戸惑いましたが、「なんとかなる」と楽観的でした。ろう者の強みで、身振り手振りならどこでも通じるという自信があったからです。現地の生活に慣れてくると、現地の手話を覚えようとろう者の集まりにもでかけ、人とのつながりが広がりました。

カナダで驚かされたのは、ろう者が日本よりもはるかに幅広い職種に就いていること。例えば、日本ではろう学校の教師は聴者が多いのですが、カナダでは聴者とろう者が同じくらいの割合です。当たり前のように自らが自由に選んだ仕事をしている姿を見て、やはり自分もそうありたいと思いました。そして、あらためて何をしたいのかを自分に問いかけた時、出てきた答えがろう者の教育でした。ろう者は何かをやろうとしても「無理だ」「できない」と言われることが多く、自信を失いがちです。でも、ろう者もやればできるし、ろう者だからこその強みもあります。ろう者が誇りを持って生きられるようお手伝いをできたらと考えて、歯科技工士の仕事でためたお金をつぎこんでアメリカの大学に入り、神学とろう教育を学びました。

アメリカ留学中はろうクリスチャン劇団に入り、いろいろな国を旅して活動しました。たくさんの人と出会いたかったからです。言葉は通じなくても、日本手話(日本語とは文法の違う、独特の言語として発達してきた日本の手話)に身振り手振りを交えて表情豊かにコメディを演じれば、みんな笑ってくれます。聴者の役者でも声がきれいだったり、しゃべり方に味があったり特徴がいろいろありますが、私は手話という表現が向いていると感じました。思い起こせば、私は家族と手話で会話して育ったので、ろう学校時代も同級生よりも手話が上達していました。先生の口の動きを読み取るのも得意な方だったので、先生の話(当時のろう学校の授業は手話を使わず、口の動きを読む読話・口話が使われていた)の手話通訳のような役割をしていたんです。そういった経験を通じて、人に何かを説明したり、教えることも好きでした。

海外に行けて人と触れ合え、表現をしたり、教えたり、自分の好きなことができる。そういう仕事がないかなと考えた時に思い浮かんだのが宣教師の仕事。発展途上国のろう教育に携わりたいと思い、牧師の資格を取得してアメリカの教会で牧師として働いたのち、日本の教会に異動し、現在はおもに広島の教会で活動しています。実は、牧師の資格を取った時、日本で働くことになるとは思っていませんでした。日本ではろう者の牧師がほとんどいなかったからです。でも、「教会に集まってくれるろう者の方に対して、ろう者の牧師だからこそ伝えられることがある」という考えが広まってきて、私が呼ばれたのです。

「ろう者だからできない」ではなく「ろう者だからこそできる」。

そう考える人たちが日本に増えてきているとしたら、「ろう者だからできない」と言われ続け、「そんなことはない。できるよ」と無我夢中でやりたいことをやり続けてきた私にとって、本当にうれしいことです。

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自分にできることがあるのなら、惜しみなく力を差し出したい

牧師という仕事にはなじみのない方が多いかもしれません。私自身はクリスチャンで子どものころから教会に通っていたので、牧師は身近な存在でした。それだけに、自分にはなれない気がしていました。牧師というのは壇上で真面目な話をするのが仕事で、ふざけるのが大好きな私には無理だと思っていたからです。また、父が聖書の話を講壇で語るのが上手で、父のようにはできないという思いもありました。ですから、「牧師になりたい」と思ったことがありませんでした。

そんなある日、ろうの子どもたちの前で聖書のお話を演じたんですね。すると、聖書を読んだ時は「難しい」「わからない」と言っていた子どもたちが目を輝かせ、「私たちも劇をやりたい」と言ってくれたんです。文章では難しかったことが、手話で演じると伝わった。その時に、「そうか。私にもこういうことならお手伝いできるかもしれない」と思いました。聖書で描かれているのは立派な人たちだけでなく、私たちと同じように限界を感じたり、つまずいている人たちもいる。そういう人たちがどうやって壁を乗り越えていったのかが描かれている話もいっぱいあって、それらを「面白いよ」「楽しいよ」と私自身が思いながら伝えたら、みんなわくわくした顔で聞いてくれた。真面目に話すのは得意ではなくても、私は表情豊かに劇で伝えることはできる。神様は人それぞれにプレゼントを与えてくれているのだから、それを大事にやっていけばいいんだと思ったんです。

それでも、ろう者の自分が牧師になれるのか不安はありました。そんな時、当時通っていた教会で牧師さんが問いかけてくれた言葉が背中を押してくれました。こんな言葉です。

−−今ここに金色に穂が実り、とり入れんばかりになっている麦畑が広がっていたら、どうしますか? 刈り入れたいと思うでしょう? でも、働く人がいなくてしおれかけてしまった。どうしよう。もったいない。どうしたらいいんだろう。

その言葉を聞いた時、自分が「働く人」にならなければと思いました。目の前に「放っておけない」「やりたい」と思うことがあるのに、「自信がないから」と動けずにいたら、せっかくの何かができるチャンスを逃してしまう。自分にできることがあるのなら、惜しみなく力を差し出したい。そう思って牧師になり、今の私がいるんです。

牧師の仕事とは何かと聞かれたら、一瞬考え込んでしまうのですが、答えらしきものはあります。私自身は家族のおかげでろう者として自尊心を持って育ちましたが、ろう者であることに劣等感を持ち、「自分は必要とされていない」「自分は愛されていない」と感じている人たちはたくさんいます。そして、同様の思いにうちのめされ、孤独を感じている人たちは聴者にも多い。そういう人たちに「神様は一人ひとりをかけがえのない存在だと思っている。あなたは必ずどこかで愛されていますよ」と伝えたいんです。ひとりでもはぐれそうになっている人がいたら、私は呼びに行きたい。その人が悲しい顔をしていたら、笑顔になるようにできたら、それ以上にうれしいことはありません。

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INFORMATION

郡さんの著書『あなたは見えないところで愛されている』(角川書店/定価1000円+税)。過疎地の教会にやってくる人たちと触れ合い、その合間を縫って国際手話通訳者としても活動する日々の中で生まれた言葉をつづったエッセイ集。周囲からことあるごとに発せられる「ろう者だからできない」という言葉を前向きな努力で吹き飛ばしてきた郡さんならではの「あなたはどこかで必ず誰かに必要とされています」というメッセージが心に響く。

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取材・文/泉彩子 撮影/臼田尚史

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