「ミドリムシ」という、ちっぽけな存在の可能性
当社の社名の由来となった「ユーグレナ」というものが何か、皆さんはご存じでしょうか。これはワカメや昆布と同じ藻類に属する「ミドリムシ」という微生物の学名(世界共通の名称)です。水中で植物のように光合成する一方で細胞を変形させて動く、植物と動物の両方の性質を持った珍しい生物で、名前から連想して「イモムシのような虫の仲間でしょう」と誤解されやすいですが、そうではありません。
「ミドリムシ」はビタミン類、ミネラル類、アミノ酸など59種類もの豊富な栄養素を含み、二酸化炭素を吸収し成長するという特性があります。そのため食料問題や環境問題の解決に活用しようと、日本でも1980年代から約20年間、国家プロジェクトとして研究されていました。ただ大量培養が成功せず、計画そのものが頓挫した経緯があります。
僕がこの「ミドリムシ」を知ることになったのは、大学の農学部3年生時の、現在は当社研究開発担当取締役を務めている後輩の鈴木健吾との出会いからです。僕は1年生の時のバングラデシュ旅行をきっかけに、食料問題、とりわけ栄養問題に関心を持ち、それらを解決するための方法を自分なりに模索していました。
ちょうどそのとき鈴木から、彼が研究テーマとしていた「ミドリムシ」のことを教えられ、「これは大きな可能性を持った生物だ」と直感。何とかこれを事業化したいと思いましたが、大量培養技術が確立していないという現状に大きな壁を感じました。また社会人としての勉強と将来的に起業するときの人脈づくりのために、まずは金融機関で修業しようと思い東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に就職することにしました。
銀行員時代に、現在当社マーケティング担当取締役を務める福本拓元と出会いました。彼はある機能性食品会社の専務取締役だったのですが、僕がどうしてもビジネスに必要だと思っていた営業力がずば抜けていたので、何とか創業メンバーに入ってもらうよう説得。それで僕、鈴木、福本の3名で2005年8月、株式会社ユーグレナを設立したのです。設立時はまだ「ミドリムシ」の大量培養に成功していませんでしたが、支援してくださる方もいたので、思い切って起業。その後、無事に大量培養に成功し、世間からも注目していただけるようになりました。
ごく一般的な家庭で育つ中、何となく国連に就職したかった
僕は小・中・高校時代は都心から1時間ほどの多摩ニュータウン(東京都)に住んでおり、会社員の父と専業主婦の母そして弟が1人というごく一般的な生活を送っていました。当然「ベンチャー」という言葉も知りませんし、ましてや起業しようなんて大それたことはまったく思わなかったです。当時のニュータウンは会社員や公務員の家庭がほとんどでしたから、僕もずっとそのどちらかになるとばかり思っていました。
これは個人的な考えですが、公務員には3つのパターンがあると思ってました。市役所などで働く地方公務員、霞が関で働く国家公務員、そして外国で働く国連職員。このうち、何となくですが僕は国連職員を目指していました。
海外に憧れはありましたが、両親は当時パスポートを持っておらず、僕も大学に入るまで一度も海外に行ったことがありません。そんな状況でどうすれば国連に入れるのか。僕は1人も職員の方にお会いしたことがありませんでしたし、ツテも特になかったものですからいろいろと調べてみました。
するとある資料で、「東大の文科Ⅲ類で国際関係論などを勉強し国連に就職した」という学歴の持ち主を見つけたのです。そういう人がいたので、「東大で国際関係論を勉強すればきっと国連に就職できる道があるんだ」と思い込んで大学を決めました。
食料料問題で感じた本質的なテーマは、「栄養失調」だった
僕が最初に行った外国はバングラデシュです。「一度も海外に行ったことがないと、さすがに国連には入れないだろう」と思い、大学1年生の夏休みにどこでもいいから行ってみようと思ったのがきっかけです。
ただ僕はニューヨークやハワイ、ローマといった観光地に行きたかったわけではありません。「国連で発展途上国の支援などにかかわる仕事に携われれば、きっとやりがいがあるだろう。空腹の人たちのために世界中から食料を集め、災害で被災した地域や干ばつで食料が不作だった地域に食料を持っていく。国連はそんな素晴らしい仕事をしているし、これなら現地の人にも喜んでいただける」。勝手にそう思っていました。そういう意味で、僕にとっては国連に就職するというのは「アイドルの追っかけ」に近いものでしたね。「国連ブランドへの憧れ」と言ってもいいです。
でも実際にバングラデシュに行ってみると、思い描いていたイメージとはかけ離れていました。もともと僕は食料問題に関心があり、国連開発計画(UNDP)や国連食料計画(WFP)などで勉強していました。その分野のどの国連職員の方に会っても、地球のために使命感を持って仕事をしているのですが、よくよく聞いてみると、実は発展途上国には出張でしか行ったことがないというような人もいました。
国連は本当に現地のニーズに即した活動ができているのか、このとき僕は疑問を持ちました。一番のギャップを感じたのは「食料問題」の捉え方です。普通は「食料問題」といえば、「食料が不足し空腹で困っている人が大勢いる」というようなイメージを抱く人も多いかもしれません。
ところがバングラデシュには、そういう意味での「食料問題」は存在しなかったのです。これにはすごく驚きました。米、麦、トウモロコシ、イモといった炭水化物はまったく不足していなかったため、「おなかが空いている」という理由で困っている人は、少なくとも私が知る限り現地には1人もいませんでした。
むしろ野菜やフルーツ、卵や肉などから摂取できるビタミンやタンパク質、カルシウムなどほかの栄養素が圧倒的に不足している。本当の問題は「飢餓」よりもそうした「栄養失調」の方で、そういう人たちが世界に10億人いたのです。国連はこの部分に関してピンときていないのではないか。このときからそう感じるようになりました。
それで、「このまま文科Ⅲ類で国際関係論だけ学んでいてもバングラデシュの栄養問題は解決できない」と思い、3年生のときいわゆる「進振り」(東大独自の進学振分け制度)を利用して農学部に転部し、そこで鈴木の研究テーマである「ミドリムシ」に出合うことになりました。
道を間違えそうになる時は、“物”を見て戒める
バングラデシュに行く前は、もっと悲惨な生活状況なのかなと思っていましたが、現地の人たちの気持ちはとても前向きでした。子どもたちも皆元気でしたから、その時に湧いた感情は「経済的に助けてあげたい」といったものではありません。むしろバングラデシュのことを考えていると、こちらの元気が湧いてきたくらいです。
あの国には政治、教育、水や電力といったインフラなどさまざまな問題があります。そこでなぜ僕は栄養問題に関心を持ったか、ひいてはなぜ僕がユーグレナという社名の由来となったミドリムシを選んだのか。それは自分でもあまりうまく説明できません。ただイメージと現実のギャップがすごくて驚いた。そこで食料問題の捉え方に疑問を抱き、それを解決する方法がたまたまミドリムシだっただけなのです。
現地での体験は、普通なら日本に帰ってくると忘れちゃいます。でも僕は「今回のことは絶対に忘れたくない」と思っていたので、バングラデシュでTシャツを購入。それを家のクローゼットに置き、見るたびに「早く栄養問題を解決してあげたい」と思うようにしていました。
こうした“物”はお守りのようなものです。ミドリムシの販売に困っていたときに初めていただいたお客さまからの感謝のお手紙、当社社員の全員集合写真、伊藤忠商事から最初に資金を出していただいた時の通帳のコピー。この3つは今も常に持ち歩いています。自分の信念と違う誤った道を選びそうになった時は、こうした具体的な“物”を見ることで、いったん踏みとどまらせる「アンカー」のような役割を果たしてくれました。
これから社会に出る皆さんへ
学生時代に僕も入っていた、学生ビジネスコンテストを主催するサークルのリーダーで、男でも惚れちゃうような立派な先輩がいました。その人がリーダーシップについて、こうアドバイスしてくれたのです。
「リーダーシップというのは勉強して身につくものではない。すでにリーダーとなっている人の活動を徹底的に応援することで、次に自分が1人では成しえない大事をしたいと思った時、自然と周りの人が『次はあなたを支える順番』がめぐってくるものだ」。
つまりリーダーになる前に、どれだけリーダーになるためのパワーが溜まっているかどうか。それが重要だということです。僕はこの言葉を胸に創業し、経営を続けています。
たとえ小さなミドリムシでも、気合いを入れて集中して取り組めば、素晴らしい成果、素晴らしいパワーが発揮されます。事業をスタートした時はイモムシだなんだと言われていたミドリムシですら、「これで世の中が良くなるんじゃないか」と思っていただける方が増えました。
これが拙著『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』という題名につながっていくわけですが、人間はもっと何かができるはず。「くだらないものなんてない」のです。
何か新しいことを始めようとすると、決まって周囲から「そんなよくわからないことはやめた方がいいよ」と言われます。でも本当に自分がそれをしたいのであれば、そんな言葉は気にしなくてもいいのです。
ほかの人にそう言われて、その道をあきらめてしまう人って意外と多いと思います。周囲の人たちは何もいじわるでそう言っているわけではなく、親切心からそう思っているのでしょう。実は新しいことは、最初から「いいね」と世の中に受け入れられるものではありません。
とにかく、誰かがやめた方がいいと言ってもやめないこと。これに尽きると思います。「小さなミドリムシだってこんなに頑張っているんだ」と皆さん思っていただければ、きっと社会人として苦しいことがあっても頑張っていけるだろうと信じています。
出雲充さんHISTORY
大学1年生の夏休みを利用してバングラデシュを訪れ、栄養問題に関心を抱く。
東大農学部で鈴木健吾氏(現・ユーグレナ取締役・研究開発担当)と出会い「ミドリムシ」のことを知る。
東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。
福本拓元氏(現・ユーグレナ取締役・マーケティング担当)と鈴木氏を誘い、計3名で株式会社ユーグレナ設立。
東証マザーズ上場。世界経済フォーラム(通称・ダボス会議)が選出する「ヤング・グローバル・リーダーズ2012」に選出される。ミドリムシ大量培養の技術力を生かし、食品、機能性食品、化粧品、飼料、燃料など数多くの分野で事業化を目指している。
愛読書は?
僕はマンガが好きなので、ビジネス書の愛読書というものは特にありませんが、森川ジョージさん作の『はじめの一歩』(講談社)というボクシングマンガのこのセリフが大好きです。「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」―主人公が所属するジムの会長が、同じジムに所属する先輩ボクサーを世界王座決定戦に送り出す場面での言葉です。このひと言が、本当に人生のすべてを表現しているなと思います。
出雲さんの愛用品
ミドリ色のネクタイは、会社のメンバーからある日プレゼントされたものです。初めて着ける時はドキドキしましたが、会合などでは皆さん喜んでくれます。特に人が多い場所になると「ミドリムシの人はミドリ色のネクタイをしているから」とすぐに探せて便利だそうです。スーツは、ベンチャー経営者が集う「アジア経営者ビジネスサミット」などでご一緒させていただいたアルビレックス新潟の池田弘会長に作っていただきました。ネクタイはミドリムシ、スーツのフラワーホール(えりの緑色の穴)は地球を摸しており、「ミドリムシで地球を救う」ことを表しています。
取材・文/大根田康介 撮影/臼田尚史