タイのバンコクにある日系企業の現地法人に勤務。赴任後に始めたゴルフにはまり、妻と早朝ゴルフを楽しんだり、おいしいタイ料理レストランを教えてもらって食べ歩いたりと、タイ生活を満喫中。
仏像の前で必ず手を合わせるスタッフたち
こんにちは。リュウです。今回は、タイの文化についてお話しします。
タイに住んでいて感じるのは、ここが熱心な仏教国であるということ。急に男性スタッフが髪をそり、丸刈りになって出社したり、1週間休みを取ったかと思うと、その間に出家したりしています。また、タイでは、大きなビルであれば必ず仏像などが建物の周囲に置かれているものなのですが、熱心に信心している人は、毎朝そこに線香を捧げたりしています。当社のスタッフも、そうした場所では、必ず手を合わせて頭を下げてから通ります。
年に何度か、会社に僧侶が来てお祈りを捧げたりすることもあります。会社のイベントとして、名のあるお寺からの僧侶を呼んでいるようです。商売繁盛などを祈祷した上で、水で社内を清めたり、従業員の手を洗ったりもしています。また、タイの学校では、お経を教えているのか、たいていのタイ人はお経を唱えることができるよう。数人の僧侶が、まるでコーラスのようにお経を唱えるのに合わせて、スタッフたちもお経を唱えているので驚きます。
タイで王族について話す際には、注意が必要です。外国人であっても不敬罪で厳罰になることもあるようだからです。基本的に、王族の話をすること自体がタブーなようにも感じます。例えば、現国王は高齢のため入院などを繰り返していますが、そういった健康上の問題などを話すのも、あまりよくない模様。以前、テレビで「不敬罪」を話題に取り上げたコメンテーターについて、警察が「『不敬罪の話をした』という行為自体が不敬罪になるのではないか」と調査をしているほどなのです。タイでは、午前8時と午後6時にラジオやテレビ、駅などの公共施設のスピーカーから国歌が流れると、全員その場で立ち止まり、王族に敬意を示さなければならないという法律があり、そんなところからも、王族の存在感の大きさが伝わってきます。
そのように、慎重な扱いが必要な王族ではありますが、国王や王女は、とても国民に親しまれ、慕われていることを感じます。国王や王女の写真が、街中のいたるところに大きく掲示されていることからも、国民から強い支持を得ていることがわかるものです。また、「母の日」は5月第2週の日曜日、「父の日」は6月第3週の日曜日が一般的だと思いますが、タイでは国王の誕生日を父の日、王女の誕生日を母の日として、祝日にしています。
上司がごちそうするのが当たり前
スタッフとは、一緒に昼食に行くことも多いのですが、皆さん、路肩にある屋台などで食事をするのが好きなようです。そのたびに、現地の水でおなかをこわすのではないかと心配になりますが、彼らがせっせと水や食べ物を持ってきてくれるので、断るわけにもいきません。タイの人々は、ホスピタリティが高くてもてなし好きなので、私が何も言わなくても、「おいしいから食べてみて」と、どんどん食べ物を運んできてくれるのです。その都度、「ありがとう。だけどこれは食べられない」などと、はっきり断らなければならなかったのですが、私が食べないタイプの料理や、私が氷入りの飲み物を飲まないことを理解してくれてからは、少し楽になりました。店に「あまり辛くしないで」と注文してくれることもあり、気を使ってくれるのがありがたいですね。今でもたまにイタズラで激辛のものを食べさせられたりしますが、こういう機会は、部下との距離を縮める貴重なチャンス。どんなに下手でも、なるべくタイ語でコミュニケーションをとるようにして楽しく過ごしています。
なお、部下と食事に行くと、必ず全額上司が支払うことになります。タイは、ある意味「親分と子分」の関係で仕事をする文化のようで、こういうところでケチると嫌われるようですね。部下も、奢(おご)られて当然という態度です。私自身、赴任した当初にそう教わっていましたので、最初から気持ち良く奢るようにしました。中には、年に1回のグループでのゴルフコンペの費用を全額出したりしている上司もいるようで、その上司の家が洪水の被害に遭った際は、部下が総出で家の掃除に駆けつけてくれたとか。日ごろの恩をきちんと返す義理固い人たちなのだと感じました。
次回は、バンコクでの私の暮らしについてお話しします。
僧侶を自宅マンションに呼んで、エントランスで祈祷してもらうこともできる。
タイでは、街中でも頻繁に僧侶の姿を見かける。
電車には、「お坊さん優先席」の表示もある。さすが仏教国。
バンコクの市街地にある「エラワン・プーム」という祠(ほこら)。タイでは至るところに祠があり、多くの人が手を合わせている。
祠のそばでは、お供え用の花を売る屋台も。
構成/日笠由紀