髙田 明さん(ジャパネットたかた創業者)の「仕事とは?」|後編

たかた・あきら●1948年、長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、阪村機械製作所に入社し通訳として海外駐在を経験。1974年に平戸市にUターンし、父親が経営していた「カメラのたかた」に入社。観光写真撮影販売から事業拡大し、1986年に「株式会社たかた」を設立、代表取締役に就任する。1990年からラジオショッピング、1994年にはテレビショッピングに参入し、通信販売事業を展開。1999年に社名を「株式会社ジャパネットたかた」に変更する。2015年1月、ジャパネットたかた社長の座を長男に譲り退任。「株式会社A and Live」を設立し代表取締役に就任。番組出演も卒業し、現在は『おさんぽジャパネット』という番組にのみ出演している。また2017年4月よりJ2サッカー「V・ファーレン長崎」の代表取締役社長に就任。

前編では社会人1年目から実家の写真館「カメラのたかた」でのエピソードまでを話していただきました。
後編では「株式会社たかた」創業から、退任を決めた思い、今後の挑戦についてうかがいます。

やり方や考え方を変えながらできる道を探すことを、“苦労”だと思ったことはない

-37歳で「ジャパネットたかた」の前身である「株式会社たかた」を設立。創業にいたった経緯を教えてください。

27歳の時、父親が経営する「カメラのたかた」の松浦支店(長崎県松浦市)を任されました。当時は結婚したばかり。新婚早々妻と、二人三脚の多忙な生活が始まりました。「月商を今の6倍にしよう」と目標を立てましてね。カメラの販売とフィルムの現像(プリント)、団体旅行の写真添乗の仕事までできることはすべてやりきり、1年後に目標を達成しました。

30歳になると、佐世保三川内店がオープンし、拠点を佐世保に移します。現像するフィルムを預かってもらう取次店を地元の商店にお願いし、販路を広げていきました。当日仕上げのプリントサービスをいち早く導入し、ビデオカメラやカラオケ、ワープロなどの電化製品の販売に力を入れ、時代の流れにのって店はどんどん大きくなっていきました。佐世保三川内店の年商が2億円を超え、自分のやり方に自信が出てきたころ、「カメラのたかた」から独立することになりました。兄弟3人で一緒にやってもよかったのですが、それぞれ自分のスタイルがあるのなら独立してもいいんじゃないかと家族で話し合って決めたんです。

-創業してから感じた壁はありましたか?

壁も苦労も、感じたことがないんです。たとえ結果が伴わなくても、その結果にいたるまで一生懸命工夫してやるのが好きだからかもしれません。プロセスが大事だと思うんです。

「株式会社たかた」を立ち上げ、1990年からラジオショッピング、その4年後にはテレビショッピングを始めましたが、その間にもいろいろな試行錯誤がありました。ラジオショッピングを始めた当初は、広告会社と放送会社を通していました。ただ、そうすると放送内容の事前チェックなどで時間がかかり、お客さまに紹介したい商品をタイムリーにお伝えできなくなってしまいます。そこで直営の代理店を作り、生放送当日の天候によって紹介する商品を変えるなどの柔軟な放送ができるようにしました。

テレビショッピングでは、スタートして7年後の2001年に、佐世保に自社スタジオを作りました。制作会社に番組制作をお願いすると、収録から完成まで1カ月以上かかるため、「新商品」として紹介したものが、放送時には新商品ではなくなってしまいます。お金も時間もかかるので、自前で撮影した方がいいのではないかと考えました。しかし、制作会社やテレビ局の方たちから「不可能だ」と大反対を受けました。確かに、番組制作には撮影、編集などあらゆる分野のプロフェッショナルが集結します。これをすべて社員でやるのは大変だと思いましたが、最初は社外のプロのスタッフに常駐してもらうなど、ノウハウを少しずつ学ばせていただきながら、自分たちでできる体制をつくっていきました。スタジオ完成後には、テレビショッピングの生放送を始めましたが、この“生放送”にも「放送事故があったらどうするんだ」と制作現場を知る人たちは一斉に反発しました。私としては、生放送の方が臨場感を持って商品の良さを伝えられるし、伝え手の緊張感や必死さが、いい作品づくりにつながるのではないかと考えたのです。そして実際に、自社スタジオで生放送を始めたことで、注文数は順調に増えていきました。

こう振り返ると、すべてが“壁にぶつかった経験”となるかもしれませんが、私にとって、それは苦労ではなく「できる方法を考える」というプロセスであり、とても面白く刺激的なことでした。

「お客さまの人生を豊かにしたい」という思いは、あらゆるビジネスに共通している

-2015年1月に社長を退任しました。決意のきっかけはありましたか?

私が元気なうちに社長の座を離れ、離れた以上は託した人に完全に任せようとずっと思っていました。一つのきっかけは、テレビショッピングの販売不振で業績が低迷していた2013年に、過去最高益の更新を目標に掲げ「達成できなかったら社長を辞める」と宣言したことです。当時は、2年連続3割以上の減収という、危機的な状態。何か大きな起爆剤を投じて会社を一つにしたいと思って考えたのが、退任宣言でした。その後、みんなで頑張って目標を達成。首の皮はつながりましたが、社員のみんなの奮闘ぶりを目の当たりにし、「こんなに頼もしい後継者がいるなら、大丈夫」と退任を現実的に考えるようになりました。

-今後、新たに挑戦したいことはありますか?

未知の領域となるサッカーです。2017年3月にジャパネットホールディングスがJリーグチーム「V・ファーレン長崎」の全株取得に合意し、4月に100%子会社化しました。私は代表取締役社長としてチーム経営の再建を任されています。「V・ファーレン長崎」は、長崎県民の夢。まずは、より多くのお客さまがチームの応援に駆け付けてくれるためには何をすべきかから考えていきます。

サッカーがわからなくても、「試合を見せることで人の心を豊かにしていく」ことはあらゆるビジネスに通じています。テレビショッピングで商品の良さを一生懸命伝えていた時、考えていたのは「この商品の魅力を届けることで、お客さまの生活を豊かにしたい」の一心でした。提供するものはまったく違っても、商品や経験を通じて「人を幸せにしたい」という「ジャパネットたかた」の理念と共通しています。もちろん、その道で経験豊かな人の力を借りながら、お客さまのために何ができるかという軸がぶれなければ、取り組むべき課題は見えてくると思っています。

学生へのメッセージ

社会人になれば「仕事が面白くない」「希望の配属先じゃない」ということはあるでしょう。でも、そう思っているうちは、目の前の仕事に向き合っていない証拠。与えられたものを受け入れて頑張ってみようと思ったところから、人の成長は始まると思っています。例えば、思いがけず経理の仕事を任された人が、「この数字はどういう意味だろう」と真剣に仕事に向かうことで、資格取得につながったり、経営戦略に携わり会社を動かす側に入ったりと、道が広がることはたくさんあると思います。

一生懸命取り組めば取り組むほど、課題が見つかり、成長の機会に恵まれます。そして、一つひとつクリアしようと前に進んでいるうちに、想像もしなかった高い場所にたどり着くかもしれません。

髙田さんにとって仕事とは?

−その1 仕事は、人間の生命そのもの。人は仕事の中で人間性を磨き、人生を豊かにしていく

−その2 自分に合う仕事は机上では探せない。
−その2  目の前にある仕事に全力で向かって初めて、自分の気づかなかった能力に気づくこともある

−その3 伝えたつもりでは意味がない。相手に伝わるまで伝え続けなければ、仕事は成り立たない

INFORMATION

年商1700億円超の通販会社「ジャパネットたかた」創業者・髙田明さん初の自著『伝えることから始めよう』(東洋経済新報社)が発売中。髙田さんが伝える商品はなぜ顧客の心に届くのか、その理由がわかります。

編集後記

取材中、メモがびっしりと書かれた手帳を見せてくれた髙田さん。書かれているのは、「簡にして要の説明ができないのは、十分に理解できていないからだ」というアルバート・アインシュタインによる有名なフレーズや、「洗練を突き詰めると簡潔になる」というレオナルド・ダ・ビンチの言葉。本や新聞などで目に留まった言葉をすべてメモにしているそう。30年以上、ラジオやテレビの前の消費者に“伝え続ける”仕事をしてきた髙田さんの、進化をやめない姿勢を垣間見た気がしました。(編集担当T)

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

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