Michael Booth・1971年、英国サセックス生まれ。トラベルジャーナリスト、フードジャーナリスト。2010年「ギルド・オブ・フードライター賞」受賞。パリの有名料理学校ル・コルドン・ブルーで1年間修業、ミシュラン三つ星レストラン「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」での経験をつづった”Sacre Cordon Bleu”はBBCの番組と『Time Out』で週間ベストセラーに。日本では『英国一家、日本を食べる』が販売部数14万部を超えている。現在は妻と2人の息子とデンマークに在住。日本で発行されている著書に『英国一家、日本を食べる』『英国一家、ますます日本を食べる』(いずれも亜紀書房)、『英国一家、フランスを食べる』(飛鳥新社)、『英国一家、インドで危機一髪』『限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸福なのか?』(角川書店)。
“地上の楽園”は存在しない。現実の社会はもっと興味深くて面白い
-2013年に日本で刊行された『英国一家、日本を食べる』は日本国内でベストセラーとなり、アニメ化も。
最近では北欧の社会システムや国民性についてつづった『限りなく完璧に近い人々』が英米や北欧諸国で反響を呼び、日本語版も発行されています。なぜ北欧諸国について書こうと思われたのですか?
デンマークに暮らす私自身が感じてきたことと、欧米のマスコミが報じることにギャップを感じたからです。北欧諸国は、税金は高いものの社会制度が充実し、政治や経済もおおむね安定しています。女性の社会進出が進んでいたり、『IKEA』『H&M』といったシンプルでデザイン性の高いプロダクトを生み出す企業を抱えていたりと、北欧諸国には素晴らしい面がたくさんあるのは事実です。でも、住んでみれば、いいことばかりではありません。「北欧は“地上の楽園”だ」という「礼賛記事」にうんざりし、自分で取材をして本当のことを知りたい、もっとバランスの取れた記事を書きたいと思ったんです。それで、英国の出版社に企画を持ち込みましたが、最初は編集者から「北欧の本なんて誰も関心を持たないよ。退屈だし」と言われたんですよ。ところが、いざ出版したら、世界中から注目され、英国はもちろん、ニュージーランドやチリ、ロシアなどさまざまな国の読者から「北欧って、本当はそうだったんだ!」という驚きの声が届いて。北欧の実情はこんなにも知られていなかったんだなと思いました。
-北欧5カ国それぞれの社会の課題を浮き彫りにするだけでなく、どのような歴史を経て現在の社会になったのか、各国の社会の深層に迫ったレポートをされています。10年間暮らしているデンマークについてはともかく、他国の姿をこれだけ詳細に描くには膨大な取材が必要だったと思います。外国を取材したり、論じる上で気をつけていることはありますか?
取材したいテーマについて一番よく知っている人に最初に話を聞くことです。社会学者や歴史学者、作家などその国の世論に大きな影響を与えている人物を調べて取材をします。その時に大事にしているのは、複数の意見を聞くこと。ひとつの事象について、さまざまな角度から考察した上で、自分の意見を構築していきます。数年にわたって北欧諸国を取材し、あらためて実感したのは“地上の楽園”は存在しないということ。現実の社会はもっと興味深くて面白い。そこを表現したくて、この本では北欧諸国の「いい面」も「悪い面」も書きました。
「自分の人生の主導権を握っている」という感覚を持てるかどうか
-高い税金や高齢化、移民の問題など北欧諸国にも世界のほかの国と変わらない課題があるにもかかわらず、国連の「世界幸福度レポート」(2012年)では1位のデンマークをはじめ北欧諸国が上位を占めています。北欧の人たちの幸福度につながる要因のひとつとして、ブースさんは北欧の社会的流動性(ひとつの社会の中で職業や階級、場所の移動が可能かどうか)の高さを挙げていらっしゃいますね。
米国トップクラスの調査会社・ギャラップが行った最近の調査で、「自分の人生を変えたくても変えられない」と答えたデンマーク人はわずか5%でした。北欧諸国は教育を受ける機会が平等(高等教育を含め、教育費のほとんどが公費でまかなわれている)であることも影響して社会的流動性が高く、「自分の人生を自分でコントロールしている」と感じやすい環境であることは事実でしょう。本当の幸福というのは、自立できること、「自分の人生の主導権を握っている」という感覚によって得られるものではないでしょうか。
何をやりたくて、何をやりたくないのか。心地よく働ける条件は、人によって違う
-ブースさんはイギリスご出身ですが、「自分の人生の主導権を握っている」という感覚はありますか?
フリーランスで、上司がいませんからね(笑)。公の場では初めて話すことなのですが、僕が最初に就職したのはイギリスのテレビ局。大学で学んだ英文学や戯曲の知識を生かせたらと選んだ、希望通りの就職先でした。ところが、入社してみると、上司が部下の意見を聞かず、一方的に指示をするタイプで、僕にはまったく合いませんでした。「こんなところでは働き続けられない」と思い、入社2年目に退職したんです。その後、旅行先のタイの英文雑誌で記事を執筆したことをきっかけに大学に入り直してジャーナリズムを学び、フリーランスのジャーナリストになりました。
フリーランスになって苦労したのは、仕事を獲得することです。企画を立てては出版社に持ち込みましたが、最初は門前払いばかり。窓に止まるハエになったような気分でした。それでも、「企画が通らないからといって、僕自身の人格が否定されているのではない」と自分に言い聞かせて出版社を回り続け、少しずつ仕事の依頼が増えました。テーマを限定せず、自分の興味を持ったことを書くのが僕のスタイル。飽きっぽい性格なので、毎回いろいろな新しいことに挑戦できる仕事は性に合っています。それに、何と言っても上司がいないのが幸せ。僕は上司を持つのも、部下を持つのも好きじゃないので、素晴らしい選択をしたと思います。
ただ、世の中には上司がいる方が働きやすかったり、上司になりたいという人もたくさんいます。そういう人たちが、僕のような道を選んでも幸せにはなれないでしょう。仕事選びで大事なのは、自分が何をやりたくて、何をやりたくないのか、どういう環境なら働きやすくて、避けたいのはどういう環境なのかをよく考え、心地よく働ける条件を決めること。「幸せになる仕事選び」は自分を知ることから始まると思います。
後編ではジャーナリストの仕事の面白さや、取材を通して出会った人たちから学んだことをお話しいただきます。
(後編 1月18日更新予定)
INFORMATION
2014年にイギリスで発行されて話題になり、オバマ大統領のホワイトハウスの晩餐会スピーチにも引用された著書の日本語版『限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』(角川書店/2200円+税)。高齢化、社会保障、移民、格差、地方衰退など北欧諸国も日本と同じ問題を抱えているにもかかわらず、2012年に国連が発表した「世界幸福度レポート」では北欧諸国が上位を占めている。その理由は!? デンマーク人女性と結婚し、コペンハーゲンに住むブースさんが北欧5カ国を丹念に取材して「北欧の真実」に迫る。
取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康