堀 潤さん(ジャーナリスト)の「仕事とは?」

ほりじゅん・1977年兵庫県生まれ。2001年、立教大学文学部ドイツ文学科卒業。アナウンサーとして日本放送協会(NHK)入局。岡山放送局を経て06年より『ニュースウォッチ9』リポーターとしておもに事件・事故・災害現場の取材を担当。10年には経済ニュース番組『Bizスポ』のキャスターを担当。12年、市民参加型動画ニュースサイト「8bit News」を立ち上げる。13年4月に退局。フリーのジャーナリスト・キャスターとして活動を開始し、現在はNPO法人「8bit News」代表を務める。淑徳大学人文学部表現学科客員教授。

就職活動は世の中の“偉い人たち”に直談判するチャンス

どうしようもない学生だったんですよ、僕は。小・中学校時代はいじめられることも多く、高校に入って友人には恵まれたものの、通学先はおもに公園でした(笑)。大学入学後も授業にはまともに行かず、バンドとアルバイトとパチンコに明け暮れる日々。時代のせいにはしたくありませんが、少なからず影響はあったと思います。中学時代にバブルが崩壊。企業にリストラの嵐が吹き荒れ、僕が高校3年の時に父も早期退職を余儀なくされました。オウム真理教による地下鉄サリン事件や神戸連続児童殺傷事件が起きたりと混沌(こんとん)とした時代に10代を過ごし、世の中に何の期待もしていなかった。「大人たちがこんな世の中にしてしまった。自分が頑張っても、どうせ何も変わらない」とあきらめ、「こんな世の中、もう終わってしまえばいい」とさえ思っていました。

「あきらめてばかりはいられない」という気持ちを持つようになったのは、大学の4年間を通してアルバイトをしていた学習塾で、僕よりも冷めた目をした子どもたちと出会ったことが大きいです。小学生と中学生が通う地元の小さな塾だったのですが、中学生の子どもたちはいわゆる「落ちこぼれ」がほとんどで座らせるのもやっと。ただ、僕には相通じるものを感じてくれたのか、次第に打ち解けて話をしてくれるようになったんですね。一方、小学生にとっては大学生の僕も少し遠い存在のようで、「先生」として言うことはきちんと聞いてくれるのですが、反応に熱がない。例えば、「ニューヨークって知ってる? 行ってみたい?」と問いかけても、「テレビで知っているけど、別に行きたくない。それが何?」というような答えしか返ってこないんです。その姿を見ているうちに、「彼らにとっては僕も何もしてくれない大人のひとりに過ぎないのかもしれないな。それは嫌だな」と思ったんですね。曲がりなりにも「先生」として子どもたちを愛おしく感じていたので、「社会に出たら、彼らが夢を持てる世の中になるよう少しでも役立ちたい」と考えるようになったんです。

では、自分には何ができるのか。医師や弁護士の資格もないし、銀行や商社でバリバリ働く姿も想像できない。でも、学習塾で子どもたちと過ごした日々のように、「どうしたの? 何があったの?」と人の話をじっくり聞くことはできる。みんなの声を拾って伝えるジャーナリズムの世界で働けば、自分も何かに貢献できるんじゃないかと漠然と思いました。

そんな中、大学3年の夏にドイツに語学留学。ナチスドイツのメディア戦略に関心を持ち、卒論のテーマを「ナチスドイツと太平洋戦争下のNHK」に決めました。執筆の過程で戦時下のゆがんだ報道がいかに人々を不幸にしたかをあらためて知りましたし、当時は松本サリン事件などの報道被害(事件の被害者のひとりが無実にもかかわらず犯人として報道され、後に警察の誤認捜査が明らかになった)があらわになった時期。日本のメディアの無責任な体質は昔も今も同じだと感じたんですね。さらに、調べてみると、ドイツはナチス時代の極端なプロパガンダの反省から第2次世界大戦後にはメディアを一新させたのに対し、日本のメディアの顔ぶれはほとんど変わっていない。中でも世の中への影響力を考えると「本丸」はNHKだなと思い至り、自分がそこに入ることで、組織の内部からメディアを変えていきたいと考えたんです。

では、具体的にメディアをどう変えればいいのか。僕が社会に出ることになる2001年以降、デジタル放送が本格的に始まると聞いて、これだと思いました。大手メディアの問題点は情報を一方的に流し、それが間違っていても、巨大すぎて個人ではあらがいにくいことにある。でも、デジタル放送やインターネットによって個人が発信力を持つようになれば、テレビ報道も変わるはず。テレビと個人のコミュニケーションをフラットで開かれたものにしていくことが僕のやるべきことだと考え、アナウンサー試験の小論文や面接でもそのことを熱く訴えました。

テレビ局のアナウンサー試験の倍率は高く、特にフジテレビは当時約1万2000人が応募する人気ぶり。そのうち採用されるのは2〜3人です。NHKもフジテレビほどではないにしても高倍率に変わりはありません。自分が受かるとは思っていませんでした。アナウンサー試験を受けたのも、記者やディレクター職よりも早い時期に選考が行われたからに過ぎません。それでも、就活には真剣に臨みました。就活を世の中の“偉い人たち”に直談判するチャンスと捉えていたからです。社会を動かすような力を持った人たちに名もない若者が意見を言う機会なんてほとんどないけれど、就活ならできる。だから、エントリーシートも“偉い人たち”に書簡を届けるつもりで書きましたし、面接でも自分の考えを懸命に訴えました。それに対して聞く耳を持たない人たちはダメだと考えていましたから、本当に強気で嫌な学生だったと思いますね。そんな僕を採用してくれたのですから、NHKの懐の深さには今も感謝しています。

実は民放キー局もすべて受け、ふたつの局で最終面接まで残りましたが、結果は全敗でした。敗因を僕なりに分析してみると、第1志望のNHKに突きつけた「自分は絶対にここでこれをやりたい」という熱量に比べ、「自分を良く見せたい」「相手の求めるものに合わせなければ」という気持ちが勝ってしまったからだと思います。相手の評価ばかりが気になると、空気に飲まれ、取り繕ったり、思ってもいないことを言ってしまう。そんな人材は企業も信頼しないはずです。自分らしさを失わないこと。就活で最も大事なのはそこだと思います。

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一生懸命説明し続ければ、何かが変わる。そう信じている

NHKの役員面接の光景は今でも忘れられません。面接が行われたのは、ふかふかの絨毯(じゅうたん)が敷かれた、高層階の大会議室。僕の前には理事クラスの人たちが窓を背にしてズラリと並び、逆光で顔はほとんど見えませんでした。ものすごい威圧感に緊張を覚えながらも、「なぜNHKに応募されたのですか?」と問われ、僕はかねてからの思いを訴えました。「NHKをもっと市民とつながれる『正直な公共放送』に変えていきたいんです」と。すると、幹部の一人が「こんな大きな官僚組織をどうやって変えるんだ?」と問いかけたんです。その時の僕の答えは「一生懸命説明すれば、何かが変わっていくと信じています」という言葉でした。

ずいぶん青臭いことを言ったなと今は思います。でも、その言葉を聞いて、役員の人たちは一斉に笑い、「ずいぶん性善説な若者だな。だけど、君がそう信じるなら、思いっ切りやってみたらいい」と言ってくれたんです。そうやってかろうじてNHKに入局し、アナウンサーとして勤務した13年間は平坦(へいたん)な道のりではありませんでした。しかし、「説明すれば、何かが変わる」という思いは消えることはありませんでした。

例えば、入社6年目に東京に転勤になり、夜9時からのニュース番組『ニュースウォッチ9』のリポーターを担当した時には「容姿がチャラチャラしている」という理由だけで仕事をもらえない時期もありました。それでも、目の前の仕事に地道に向かい、職場で自分の「NHKを変えたい」という思いを伝えるうちに、支えてくれる人たちが増え、仕事を任されるようになりました。リポーターとして現場を取材して自分の言葉でニュースを伝え、街で「この間は◯◯に行っていましたね」と視聴者の方々から声をかけられる。毎日が充実していました。

2009年に個人名でツイッターを始めた時もそうでした。NHKのアナウンサーが肩書を出して個人的な発信をすることはもちろん禁じられていましたが、NHKと視聴者が双方向のコミュニケーションをすることによる可能性を試してみたくて、あえて実名を出してスタート。最初は食事の話題やプライベートで関心のあることなど他愛もない話題をつぶやいていてNHKからの反応はありませんでしたが、フォロワーが5000人くらいに増えたころにリスク管理の部署から呼び出されて注意を受けました。その時にていねいに意図を説明したところ、特例で公式アカウントを認められ、激怒していた上司も一転、応援してくれるようになったんです。

少しずつではあるけれど、NHKは視聴者とつながり、開かれたコミュニケーションを実現しつつある。そんな明るい兆しを感じていた矢先、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きました。さまざまな事情で報道されない情報も増え、僕の正直な気持ちをつぶやいていたツイッターも「社会不安をあおる」とNHK内外で批判されて、12年末に閉鎖を余儀なくされました。それでもNHKで自分のできることをやり続けるつもりでしたが、局内の改革の機運が減速。この情勢では僕や同じ志を持つ仲間の目指す報道を形にするまでに時間がかかりすぎると考えて、退職を決めました。

現在はフリーのジャーナリスト、キャスターとして活動する一方、一般の方たちの投稿によるニュースサイト「8bit News」の運営をしています。退職直後は正直なところ生活の不安もありましたし、「8bit News」も投稿された動画の議論や検証の体制が万全ではなく、本来の意図とは異なる情報が広まるなど始めてみなければわからなかった課題も浮かび上がりました。でも、NHKの外に出てみなければ出会えなかった人たちに出会い、自分の思いを伝えることで、さまざまなテレビ番組に呼んでいただいたり、企業の協力を得て個人の発信力を高めるためのワークショップを「8bit News」に導入したりと一つひとつ解決に向けて歩んできました。一生懸命説明すれば何かが変わる。NHKの採用面接で口にしたこの言葉を、僕は今も信じています。

仕事というのは生活の糧でもあるけれど、社会に出て15年たった今、それだけではない気がしています。仕事は僕が僕らしくいるための一番のツールだと思うんです。自分が何者なのか、なぜ生きているのか。何もないところから自分の輪郭を捉えるのは非常に困難なものです。だけど、仕事というのはひとりでは成り立たなくて、必ず人間関係が生じ、その人間関係が自分の輪郭を浮かび上がらせてくれる。だから、働くというのは大事だと思うんです。逆に言えば、自分が自分らしくいられないなら、働く意義のほとんどは失われてしまう。自分が自分でいられるかどうか。仕事に就く時には、それをひとつの大きな指標にするといいのではないでしょうか。

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INFORMATION

堀さんが運営する市民参加型動画サイト「8bit News」。登録をすれば誰でも自分で撮影した動画をアップロードできる。サービス開始から1年間で、動画の総再生回数は25万回以上。世界86カ国からアクセスがある。一般の人たちの発信力を高めることを目的に、取材や動画撮影について学ぶ講座も毎日新聞やグーグルなどとコラボレートして不定期に開催している。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

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