髙岡昌生さん(欧文組版職人 )の「仕事とは?」|前編

たかおかまさお・1957年、東京都生まれ。有限会社嘉瑞工房 代表取締役。國學院大學法学部法律学科卒業。民間企業勤務を経て、84年、父の経営する有限会社嘉瑞工房に入社。95年から現職。父より欧文組版、タイポグラフィを学ぶ。1999年〜2001年、印刷博物館・印刷工房アドバイザー。欧文組版、タイポグラフィ、コーポレートタイプについての講義、講演活動も数多く行っている。著書に『世界の美しい欧文活字見本帳 嘉瑞工房コレクション』『欧文組版 組版の基礎とマナー』がある。

Fellow of the Royal Society of Arts(英国王立芸術協会フェロー)
ライノタイプ社 アドバイザー
2004年 第3回佐藤敬之輔賞(日本タイポグラフィ協会)受賞
2009年 新宿ものづくりマイスター「技の名匠」認定 新宿区

制約があるからこそ、集中して仕事をする姿勢が身についた

-お父さまの髙岡重蔵さんが活版印刷会社「嘉瑞工房」を創業されたのは1956年。活版印刷だけを60年も続けている会社は数少ないのでは?

今では珍しくなってしまいましたね。特に欧文活版印刷を中心にやっている会社は、ほかに聞きません。そもそも、活版印刷という言葉自体、若い人にはなじみがない方も多いのではないでしょうか。活版印刷というのは金属の活字を使って版を組み、印刷する手法のこと。スタンプや印鑑をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。現在の印刷物はコンピュータで文字を組み、オフセット(凹凸のない薄いアルミ製の版を使う印刷方式)で刷るのが主流。印刷物の制作過程では文字の修正もよくあり、コンピュータならあっという間ですが、活版の場合は修正があれば組み直す必要があり、制作に時間がかかります。たくさんの活字の管理・メンテナンスもひと苦労でね。特に欧文は書体が多く、うちでは300種類以上、サイズも1500種以上の金属活字書体をそろえていて、その重さは合計で5トンぐらいはあると思います。活版というのは手間のかかる、不自由な印刷方式なんです。また、文字サイズや書体、レイアウトの変更も簡単にはできない。でも、制約があるからこそ、どうすれば読みやすく美しい印刷物を作れるのか工夫し、集中して仕事をする姿勢が身についたように思います。

-独特の風合いから、活版印刷に注目する人は再び増えています。

印字部分のインクの厚みによって文字のラインに力強さがあったり、文字線がデジタルフォントと比べ滑らかでなかったり、オフセット印刷にはない味わいも確かにありますね。ただ、「ブーム」のようになってしまうことには抵抗があります。そもそも活版印刷というのは目的ではなく、良い印刷物を作るための手段なんです。なので、一過性の「ブーム」にはしたくないという思いがあります。当社は名刺や招待状、レターヘッドといったパーソナルな印刷物を作っていますから、情報を届けるだけの印刷物を作るのではなく、印刷物にお客さまの気持ちを乗せるのが自分の役目。お客さまが印刷物を渡す相手への印象を考えながら、書体を選び、文字を組んでいます。

26歳で父の経営する活版印刷会社に。最初は活字の片付けや掃除や配達ばかりの毎日だった

-子どものころから家業を継ごうとお考えになっていたんですか?

父とはあまり仲が良くなかったので、これっぽっちも考えませんでした。大学の法学部を出て紳士服の老舗の会社に就職し、4年ほど販売の仕事をしました。不満は何もなかったんですよ。バブル景気前夜でお給料もまずまずでしたし、顧客には政治家や企業経営者も多く、普通なら若造が接することなんてできない成功者たちのたたずまいに触れる機会もあって勉強になりました。ただ、夢中でやっているうちに仕事に慣れ、なんとなく物足りなさを感じるようになったんです。

そんな時に仕事を終えて帰宅すると、自宅にある父の工房から笑い声が聞こえてくるんですね。父の印刷所には夜な夜なデザイナーさんや美術大学の学生さんがタイポグラフィ(書体の選択やレイアウトなど文字による表現やその技法)について教わりに来ていて、デザイン談義に花を咲かせていたんです。その様子が楽しそうで。私の仕事は私じゃなくてもできるのに、父のやっていることは父がいないと困る人がたくさんいる。父の姿が何だかうらやましくて、「それほどまでに人に頼りにされる事の魅力ってどういうものなんだろう」という好奇心から、26歳でこの世界に入ったんです。だから、活版印刷やタイポグラフィに興味があったわけじゃないんですよ。

-当時はすでにオフセット印刷が主流。廃業する活版印刷会社が相次ぐ中、この世界に飛び込むことに不安はありませんでしたか?

「やってみたい」という気持ちが強くて、業界の将来性については深く考えていませんでした。最も心配だったのは、父とうまくやっていけるかどうか(笑)。父の会社に入ったからといって、技術や知識を手取り足取り教えてもらうなんてことは期待できません。何もできず、命じられるままに活字の整理、掃除や配達をする毎日が続きました。唯一の印刷屋さんっぽい仕事は、「字返し」といって、印刷に使用した金属活字を書体とサイズごとにケースに戻すこと。アルファベットさえ読めれば子どもでもできる単純作業です。

仕事が面白くなってくるまでには、10年かかった

-単純作業ばかりの毎日に不満は感じませんでしたか?

うーん。何の技術も知識もなかったので、最初からすごいことができるとは思っていませんでした。それと、「自分で決めたのだから、ここでやるしかない」という覚悟みたいなものはある程度あったかもしれません。与えられた仕事をただやるのではなく、どうすればスムーズにより良くできるかは工夫していました。どうせやるなら、その方が自分が楽だから(笑)。すると、単純作業でも学べることがいっぱいあるんですよ。例えば、たまに床に活字が落ちている。それをケースに戻す時に最初は書体の見分けがつかず、父に聞いても「自分で見ろ」と一蹴されるわけです。そこで活字の形をじっくり見比べるうちに、書体の名前や特徴を覚えていきました。

しばらくすると、簡単な組版(活字を組み合わせて版を作ること)を任されるようになりましたが、父に徹底的に直されました。何度も直して、ようやく首を縦に振ってもらえる。そういうやりとりを数年続けていると、なんとなく感覚がわかってきました。次にデザイナーさんと直接やりとりをさせてもらえるようになりました。最初は指定通りやるだけで精いっぱいでしたが、だんだん「あれ? こうした方がいいんじゃないかな」というのが出てくるんですね。私たちはデザイナーさんの指定通りに仕事をするのが原則なので、OKが出ればそのまま納品します。でも、その後、休日に自分の思う通りに文字を組み直すことにしていました。やってみると、デザイナーさんの指示になるほどとうなずくこともあれば、自分の案の方がいいなと思うこともある。それを繰り返しているとデザイナーさんの意図がなんとなくわかってきましたし、タイポグラフィについて自分なりの判断基準も少しずつ出てきて、仕事が面白くなっていきました。そこまでたどり着くのに、10年。やはり、そのくらいの時間はかかりましたね。

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後編では仕事への基本的な姿勢や、活版印刷の未来についてのお考えをお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 12月21日更新予定)

INFORMATION

嘉瑞工房(http://kazuipress.com)では、金属活字を使用した活版印刷による名刺やレターヘッドなどを中心に制作している。欧文活字を多数用意しているのが特色で、和文印刷にも対応している。欧文タイポグラフィのルールやマナーを踏まえた海外でも通用する印刷物には定評があり、顧客には有名デザイナーやアーティストも名前を連ねる。下の写真は髙岡さんが『就職ジャーナル』の綴りを文字組みしてくれたもの。丁寧に書体を選び、考え抜かれたレイアウトで刷られた印刷物には格別な味わいがある。

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取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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