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仕事とは?

Vol.154 辻 秀一

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つじしゅういち・1961年東京都生まれ。86年北海道大学医学部卒業後、研修医として慶應義塾大学医学部内科に勤務。91年、慶應義塾大学スポーツ医学研究センターでスポーツ医学を研究。99年、株式会社エミネクロス設立。スポーツ心理学を日常生活に応用した応用スポーツ心理学をベースに、パフォーマンスを最適・最大化する心の状態「Flow」を生み出すための独自理論「辻メソッド」でメンタルトレーニングを展開。わかりやすく実践しやすいメソッドが反響を得てスポーツだけでなくビジネス、教育、音楽などさまざまな分野で活躍する人々から支持されている。また、2012年には「スポーツを文明から文化にする活動」をミッションに一般社団法人カルティベイティブ・スポーツクラブを立ち上げ、プロバスケットボールチーム「東京エクセレンス」の代表に。

オフィシャルサイト http://www.doctor-tsuji.com

仕事に対して文句や愚痴を言っている自分に気づいて立ち止まった

僕は「スポーツドクター」ですが、スポーツ選手の身体を診る医師ではありません。人が自分らしく心豊かに生きること、人生や生活の質のことを医療や介護の世界でよくクオリティーオブライフ(QOL)と言いますが、僕が目指すのはあらゆる人のQOL向上を手助けすること。それを僕自身が大好きな「スポーツ」という手段で実現したいと考え、スポーツ心理学をベースにしたメンタルトレーニングや講演、執筆、プロバスケットボールチーム「東京エクセレンス」の経営といったさまざまな活動をしています。

 

もともとは内科の医師でした。たくさんの人に貢献できる仕事がしたいという思いがあって、高校時代はエネルギー問題の研究者になりたくて京都大学の理工系学部を目指したのですが、同級生にいた天才肌の友人たちの姿を見ていると、自分は彼らほどは勉強が好きではないし、研究者の適性はないなと悟りましてね。受験間近になって志望校を変更して、北海道大学医学部に進学しました。医師になろうと思ったのは高い志があってというよりは、ほかに思いつかなかったからです。14代続く医師の家系で、周りに会社員がひとりもいなかったので、企業に就職というのもイメージできなかったんです。エネルギー問題の研究者のように全人類を救うことはできなくても、医師として人に一対一で向かい合って、何かの役に立つことができればそれもいいかもしれない…というくらいの気持ちでした。

 

北海道大学を志望したのも、医学部の教育内容は関係なく、バスケットボール部の強い大学だったから。僕は中学からバスケに打ち込んでいて、大学でもやりたいし、どうせやるなら、強いチームに入りたいと思っていました。だから、入学後はバスケばかりしていて、2年目には念願の全日本大学バスケットボール選手権大会にも出場しました。

 

卒業後、スポーツが好きな医学生の中には整形外科を目指す人もいましたが、僕は手術で人の身体にメスを入れるのが性に合わなくて。患者さんを総合的なアプローチで診たいと内科医の道を選びました。内科の中でも原因不明の全身疾患の膠原病(こうげんびょう)の専門医になりたくて、慶應義塾大学病院に入局。膠原病リウマチ内科で研修医として2年間働き、その後2年間は川崎市立病院で働きました。川崎市立病院には膠原病リウマチの分野の優秀な先生方がいて症例も多く、期間限定で勤務することが決まった時は「勉強できるぞ」と本当にうれしかったですね。

 

ところが、川崎市立病院での仕事は予想以上にハードでした。それでも自分なりに一生懸命やって、論文もたくさん書きましたしね。あと数カ月で慶應病院に戻り、いよいよ膠原病の研究に没頭できるぞと思っていたころのこと。当直(通常の診療時間以外の勤務)明けの朝に「参ったよ。重病ではない患者さんが午前2時に来てさ」と文句を同僚に言っている自分に気づき、はたと立ち止まりました。自分はもともと「人の役に立ちたい」と考えて医師になったのに、日々の忙しさに追われて、文句や愚痴ばかり言っている。本当にそれでいいのかと。

 

仕事への自分の姿勢についてそんな疑問を持ったのは、妻からの言葉の影響もありました。当時の僕は父が医師として教授までのぼりつめていく姿を見ていたこともあって、「働くというのは偉くなることだ」という考えを持っていました。「人の役に立ちたい」と本気で思っていたし、医療自体は嫌いではなかったけれど、働くことの源泉が社会的地位にあったんですね。ところが、当時毎日のように妻から「そんなに偉くなってどうするの?」と言われ、トップをひたすら目指すことに何の意味があるんだろうという思いが生まれたんです。

 

いろいろと考えた結果わかったのは、膠原病の研究というのは僕の本当に好きことではないんだということです。本当に好きなら文句は出ないはずですから。「人のため」なんて言っていても、文句ばかりでは人の役になんて立てない。人の役に立ちたいなら、まずは僕自身が心から好きなことをやることが大事じゃないかと。そこで、「自分が好きなことは何だろう」と考えて思い浮かんだのが「スポーツ」でした。でも、整形外科医になりたいわけではないし、どうしたものかと悩んでいた時に見たのが、米国に実在する精神科医の半生を描いた映画『パッチ・アダムス』です。主人公は笑いという手段で患者の人生の質、QOLを豊かにするのも広い意味での医療なんだという考えを持っていて、医師としてこんな生き方もあるんだと共感しました。

 

僕にはパッチ・アダムスのような笑いの才覚はないけれど、スポーツで人のQOLに役立つことができないか。そう考えていた時に、慶應病院の循環器科に勤務していたドクターが退職して慶應義塾大学に新たにスポーツ医学研究センターを作ったと聞いてすぐにお話をうかがったんです。すると、教授が「辻くん、日本のスポーツ医学と言えば整形外科だけど、国際的に最先端を行くスポーツ医学は健康医学。栄養、休養、運動といったライフスタイルのマネジメントが要で、その担い手となるのは内科医なんだよ」と。「これは面白い」と衝撃を受け、慶應病院を退職してスポーツ医学研究センターで働き始めました。その後、スポーツ医学を研究するうちにより良い心の状態を作ることがスポーツに限らずあらゆる分野でのパフォーマンスを向上させると気づいてスポーツ心理学を学び、メンタルマネジメントに深く携わりたいと38歳で独立しました。

 

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「やろうと思っていた」と「やってみた」。それだけの違い

物事の成果を出したり、生活を豊かにするためにメンタルのマネジメントが大事だということは今でこそ広く知られていますが、僕が独立を考えた90年代半ばは違いました。メンタルといえば精神科や宗教をイメージする人が多く、「元気な人をもっと元気にするためのメンタルマネジメントをしたい」と言ってもなかなか理解されないところがありました。独立当初は知人のカウンセリングから細々と始めましたが、経営は苦しかったです。車を売ったり、保険を解約したりして資金を工面していたので、妻や子どもたちには迷惑をかけたなと申し訳なく思うところもありました。

 

それでも突き進んだのは、自分のやることを求めている人がいるという確信があったからです。スポーツ医学研究センターで働いていた時代、僕はさまざまな大学の体育会の部活でチームドクターを務めたり、メンタルトレーニングを教えたりとスポーツをする若い人たちに接する機会が数多くありました。彼らをメンタルの面からサポートすることによって効果を実感できたし、喜んでもらえたというのが僕にとってよりどころになりました。

 

独立後の追い風となったのは、井上雄彦さん作の人気バスケットボール漫画『スラムダンク』から勝利のための心理学を読み解いた『スラムダンク勝利学』を出版したことです。独立前、学生たちのメンタルトレーニングを教えるにあたり、僕は『スラムダンク』を教材にしていました。『スラムダンク』にはメンタルトレーニングに重要な要素がたくさん盛り込まれていたからです。これが学生に好評で、知り合いの雑誌編集者に「『スラムダンク』を題材にメンタルについて連載できないだろうか」と相談したら、井上先生に交渉してくれて実現。この連載を井上先生も気に入ってくださり、独立後に書籍として出版できることになったんです。

 

この本がたくさんの方たちに読んでもらえ、執筆、講演と仕事が広がっていきました。「やはり自分の好きなことをやっていくのが大事なんだ」と感じ、その時々で心の底からやりたいと思っていることをやっているうちに、2012年にはバスケットボールチームを立ち上げるという夢までかないました。「やりたいことを次々と実現できるなんてすごいですね」と言ってくださる人もいるのですが、思いつきで動いているだけ。周囲にはずいぶん迷惑をかけているんじゃないかな(笑)。ただ、思いついたことを行動に移すか移さないかの差というのは大きいかもしれません。誰かが何かをやって結果が出たときに、「自分もやろうと思っていた」と言う人は多いですよね。でも、やらなければ形にはなりません。「やろうと思っていた」と「やってみた」。夢をかなえられるかどうかというのは、それだけの違いなんじゃないかなと思います。

 

現在、小さいですが、会社やNPO・社団法人を運営していて、スタッフにはよく言うんですけど、「雇われている人」というのはいないんですよ。例えば、うちの会社の秘書は秘書という業務を任されていて、最大のクライアントが僕。だから、クライアントの期待以上のことをしてお金をもらうという構造ですよね。期待に添えなければ基本的には仕事を失いますから、そうならないよう自分を磨く必要がありますけど、それがイヤなら辞める自由もある。「雇われている」という一方的な関係ではないんです。

 

「雇われている」と仕事を受け身に捉えれば、「やらされている」という思いが大きくなり、自分で意思決定している感覚が味わえません。でも、「自分」という会社を自分で経営しているんだという感覚で自律的に仕事をすれば、うまくいったときには大きな喜びを味わえるし、うまくいかなくても自らの責任として受け止めて改善の努力ができる。組織に属するか属さないかにかかわらず、「雇われている」という感覚を捨てるとより自由に生きられるんじゃないかなと思います。

 

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INFORMATION

近著『ハイパフォーマーは知っている 恐怖に負けない技術』(かんき出版/税抜き1300円)では、一流の人が共通して持っている「恐怖を克服する方法」を伝授。「未来思考」「期待思考」「勝利思考」など恐怖を生む原因と考えられる13の思考パターンを解説しながら、タフな心を作るための33の秘策を紹介している。

 

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

 

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