仕事とは?

Vol.245 <前編>望月衣塑子

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もちづき・いそこ●1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京新聞を発行する中日新聞東京本社に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造の闇を暴く。経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出政策、軍学共同などをメインに取材。2017年4月以降は森友学園・加計学園問題の取材チームの一員となり、取材を続けながら、官邸会見で質問を重ねている。著書に『武器輸出と日本企業』(KADOKAWA)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著、あけび書房)。2児の母。

納得するまで食い下がるのは、記者として当然のこと

-菅義偉官房長官の定例会見に出席するのは、主にメディア各社の政治部記者。社会部記者の望月さんが出席されるようになったのはなぜだったのですか?

現在、私は社会部の遊軍記者(※)として日本の武器輸出政策を取材テーマとしていますが、自ら手を挙げて2017年4月から「森友学園・加計学園問題」の取材チームの一員になりました。10人ほどのチームで、社会部の記者は私1人。残りは政治部の記者たちです。「森友学園・加計学園問題」について取材を進める中で生じた疑問点を自分自身で官邸にぶつけたいという思いから、政治部長に「菅官房長官に森友学園・加計学園問題で質問したい」と訴えたところ、うちの会社は組織間の垣根が低いこともあって、「いいよ」と言ってもらえました。政治部にはご迷惑を多々かけてしまっているとは思いますが、私をあの場に行かせてくださっている会社には感謝しています。

(※)特定の担当を持たず、普段は個別のテーマを取材し、大きな事件や事故、災害などが起きたときは捜査当局担当や官庁担当の記者をサポートする記者のこと。

 

現在は首相が記者団の質問に答えるいわゆる「ぶら下がり取材」は政治部の記者だけなので、官房長官の定例会見は私たちが政権や官邸にアクセスする機会として非常に重要です。ところが、政治部の記者は政治情勢を追うために官房長官からコメントを取ることが仕事であり、一つひとつの疑惑を追及することに主眼を置いていません。今はその状況がある程度は理解できますが、定例会見に参加する前は、菅長官に一度質問をして「そんな事実はありません」と言われると、それ以上突っ込まない記者たちの姿をテレビで見て「なぜ質問を重ねないんだろう」と不思議に思っていました。

 

-官房長官会見で望月さんのようにいくつも質問する記者は異例で、“空気”を乱していると批判も浴びていますね。

われながらしつこいし、おっちょこちょいだなと思います(笑)。昨日も同業の夫から「もっと言葉を選んで質問するように」と注意されました。改善すべき点はたくさんあり、人並みに反省していますが、質問を控えようとは思いません。官邸に通い始めて半年がたつ今も、「森友学園・加計学園問題」をはじめ、政権や官邸に対する疑問が払拭されるような回答をまったく得られてはいないからです。

 

質問に簡単には答えてもらえないという状況は、私にとっては珍しいことではありません。私は入社以来、社会部で事件取材に長く携わってきました。事件取材の主な対象は警察ですが、捜査や裁判への影響があるので、最初から真実を教えてもらえることはまずありません。疑問や疑念を抱いたら、取材対象に対して納得いくまで食い下がるのは、記者として当然のこと。私の姿は官邸では「どうしたんだ。この人は」と浮いて見えるかもしれませんが、記者として新人時代からたたき込まれたことをやり続けているだけなんです。

 

駆け出し時代は「なんて仕事に就いてしまったんだろう」と涙したことも

-中日新聞東京本社に入社して最初に配属されたのは、千葉支局だったそうですね。

中学時代からなりたかった職業に就き、意気揚々と支局に乗り込んだ直後に直属の上司から命じられたのは、被害者の遺族から容疑者逮捕に対するコメントを取ってくる仕事。ところが、困り果てた様子で「勘弁してください。言いたいことは何もありません」とおっしゃるご家族の姿を見て質問を重ねられませんでした。それで「これ以上は聞けません」と支局に電話したんですね。当然ながら、上司からは「それじゃダメだ。もう一度聞いてこい」と言われ、「なんて仕事に就いてしまったんだろう」と車の中で涙があふれました。

 

一方で、「いったん決めた仕事なのだから、やるしかない」という思いも湧いてきました。コメントを載せられなければ、遺族の無念さを読者に伝えることはできない。もう一度ご家族を訪ねて取材したコメントがほんの数行掲載された紙面を見て、記者というのはこういう仕事なんだと腹を据えたというか、何かを受け入れるような気持ちになったのを覚えています。

 

-支局の記者の大きな仕事としては、担当の警察署を毎日訪れて取材する「警察署回り」が有名です。苦労もおありになったのでは?

東京新聞のシェアは千葉県ではさほど高くないこともあって、「朝日新聞だったらねえ」などと言われて相手にされず、悔しい思いもしました。だからといってあきらめるわけにもいきません。キーパーソンとなる警察幹部のところには、昼夜問わず通い続けました。情報を探ろうと変装をして警察幹部を尾行したり、ある警察幹部がマラソンを日課にしていることを知って毎朝5時から一緒に走ったこともあります。「そこまでするなら」とそれなりに熱意を感じてくれたんでしょうね。何度質問しても答えてもらえなかったり、はぐらかされたりといったことは日常茶飯事ではありましたが、「望月だから、これは話してもいいか」と言ってくれる警察幹部も少しずつ増えていきました。

 

反省を繰り返して新たな目標を見いだしてきた

-若手時代に大きな手応えを感じたお仕事について教えてください。

一つだけ挙げるとすれば、2002年の「鎌ケ谷市汚職事件」でしょうか。当時私は一時的に行政の取材を担当していました。ただ、正直なところ、事件取材に比べて物足りなさを感じていて、与えられた仕事をこなした上で警察や地検にも夜回り(夜遅く担当先を取材をすること)をしていたんです。ちょうどそんな時に、週刊誌『サンデー毎日』が千葉県・鎌ケ谷市のレクリエーション施設の建設における指名競争入札事件で贈収賄疑惑があったことを報じたんですね。その記事は派手な扱いではなかったのですが、前後して私の地検への取材から、単なる贈収賄にとどまらず、鎌ケ谷市長、果ては政界にもつながる可能性が見えてきたので、先行取材を進めていたんです。その結果、事件が明るみに出た時には、逮捕された皆川圭一郎市長(当時)の事前インタビューといった他紙にはない情報を盛り込んだ記事を一面トップに掲載することができました。

 

いつもは「県版」と呼ばれる小さなスペースしか与えられない支局記者にとって、一面や社会面に記事を飾ることは一つの勲章です。何より、日ごろの取材の積み重ねが実を結んだことに達成感があり、事件取材をもっと極めていきたいと思いました。でも、振り返ると、当時舞い上がっていた自分が恥ずかしかったりもします。

 

-どうしてですか?

「鎌ケ谷市汚職事件」では、当時参議院議長を務めていた井上裕議員の政策秘書が鎌ケ谷市から入札情報を入手して大手ゼネコンに流し、見返りとして6400万円を受け取って逮捕されました。そのうち約3000万円が市長と助役に渡されたとされますが、差額の約3400万円がどこに消えたのかは謎のままです。警察が発表しなかった事実はなかったのか。もっと突っ込んだ取材をすべきではなかったか。この事件に限らず、そういう反省は多々あり、そのたびに「次はこうしよう」と新たな目標を見いだしてきました。

後編出産・育児の仕事への影響や、逆風を受けながらも官邸会見での質問を続ける理由をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 12月13日更新予定)

 

INFORMATION

近著『新聞記者』(KADOKAWA/800円+税)には、望月さんの東京新聞記者としてのこれまでの仕事ぶりや、幼少期から新聞記者になるまでの歩みがつづられている。激しいバッシングにさらされながらも、望月さんが官邸会見で質問を続けるのはなぜなのか。根底にある仕事への真摯な思いが伝わってくる一冊。

 

取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子

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