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中高一貫の進学校から現役で京大に合格。入学後は目標を見失った
ミュージシャンというと、ギターを奏でながら自分の思いのたけを伝えるという姿が思い浮かびますけど、僕は自己表現そのものにはあまり関心がないんです。じゃあ、音楽をやることで何をしたいかというと、みんなを楽しませたい。だから、ミュージシャン・ヒャダインとして曲を作るときも、自分自身に向き合うというよりは、聴く人の視点で考えることが多いですね。自分がリスナーとして聴いたときに楽しいかどうかを大事にしています。
ただ、自分の一番やりたいことがわかったのなんてここ数カ月のことですよ。きっかけは2013年1月にリリースしたシングル『23時40分』です。ヒャダインとしては珍しくメッセージ性の強い曲なのですが、デビュー以来、遊園地のように楽しい曲を作ってきて、今までとは違うアプローチの曲もいいんじゃないかと思って。単純にやってみたかったんです(笑)。で、気が済みました。シリアスな曲もいいけれど、やっぱり僕がやりたいことは聴いている人が楽しくなるような曲を作ることかなと思って。
いろいろ寄り道して吹っ切って、「こっちかな」と思った道に進む。今ですらこんな調子ですから、学生時代は先のことなんて何も見えていませんでした。夢とか、やりたいことというのもなかったですね。親に中高一貫の進学校に入れてもらって、現役で京都大学に合格したまではよかったけれど、いざ入学したら目標を見失ってしまって。アルバイトばかりして大学にも行かず、うっかり就活に乗り遅れてしまいました。同級生のほとんどが大学3年になる春から企業研究をしたり、インターンシップに参加したりしていることに、3年の夏になって気づいたんです。
国内企業の採用活動はまだ始まっていない時期ですし、今なら、たいした遅れではないとわかります。でも、それまでの僕はエスカレーター式の人生を歩み、挫折経験がなかったので、もうパニックです。企業への就職はもう無理だとあきらめ、やぶれかぶれでニューヨークにひとり旅に出かけたら、帰国前日に「9・11」のテロが起きて1週間足留めされました。そのときにようやく将来について真剣に考え、心に決めたのが「音楽を作る人」になることでした。
子どものころから音楽は好きで、趣味で作曲もしていましたが、人に聴かせるつもりはありませんでした。だけど、「自分たちにできるのは人々を楽しませ、力を与えることだ」とテロの数日後には劇場を開けたブロードウェイの人たちの姿を間近に見て影響を受けました。彼らのスピリットに感銘を受け、僕も自分にできることで人を楽しませたいと強く思ったんです。
帰国後、音楽専門学校に通い、大学卒業後は作詞家の松井五郎先生のもとで2年間勉強させていただきました。その後は事務所に所属し、作曲家・前山田健一としてレコード会社などのコンペに応募しましたが、なかなか採用されなくて。6畳一間のアパートに暮らし、アルバイトでやっと食いつなぐ生活でした。貧乏はまだしも、自分が作ったものに何のフィードバックもないというのはつらかったです。
数年そんな状況が続いて、腐りかけていたときに救ってくれたのが、投稿動画配信サイト「ニコニコ動画(ニコ動)」の存在でした。「ニコ動」では視聴者の反応がダイレクトにわかるので、取りあえず力試しをしようと27歳のときにヒャダイン名義で動画の投稿を始めたんですね。作った曲に自分で歌をつけて。すると、聴いてくれた人たちからうれしくなるような評価を次々ともらったんです。その評価が自信につながって前山田健一としてもコンペに通るようになり、アイドルグループ・ももいろクローバーZやSMAPをはじめいろいろなアーティストの曲を作らせていただくようになりました。
今では匿名プロジェクトだったヒャダインとしても表舞台に出て、ミュージシャンとしてだけでなく、タレントとしてテレビやラジオに出たりもしています。新しいことに挑戦するときも、僕自身は同じ人間だし、「人を楽しませたい」という根っこのところは変わらないので、戸惑うことはあまりないですね。
一度きりのチャンスにベストを尽くさないのは、すごくダサい
作曲家としてクライアントに曲を聴いてもらうときに自分のルールにしているのは、完成品に近い状態にしてデモ音源を提出すること。曲を作るだけでなく、編曲もして、歌詞も作り、自分で歌も入れます。女性アーティストに曲を作るときは、高い声で歌って機械音で加工したりもしますよ。ヒャダインの女声バージョンだから「ヒャダル子」って呼ばれているんですけど(笑)。
クライアントがデモ音源を聴くのは一度きりですから、本当はそこまでする必要はないのかもしれません。でも、一度きりだからこそ、完全なものを出したい。不完全なものを出して、「ここはアレンジがジャズ風になって、壮大な歌詞を乗せ、こういうボーカリストが歌ったらカッコよくなるんです」と言葉で説明しても、聴く人には伝わらないんです。一度きりのチャンスにベストを尽くさないのは、すごくダサい。逃げ道をなくして、うまくいかなくてもそれをきちんと受け止めて次に行った方が結果も出やすくなると思います。
「ニコ動」や「YouTube」など動画投稿サイトの登場や機材の発達で、現在は誰でもインスタントに音楽を作って発信できる環境になってきました。音声合成ソフト「ボーカロイド」を使って一般の人が作った曲をプロのアーティストが歌うということも起きています。そんな中でプロとアマチュアの違いとは何かと言うと、礼節を重んじられるかどうかだと僕は思います。音楽性とか音楽のクオリティは抜きにして、仕事のありがたみを知り、一緒に仕事をする人にあいさつをするとか、約束事を守るとか、社会人として基本的なことが要になると思うんですよね。
ただ、僕が仕事をありがたいと思えるのは、やりたいことを仕事にできているからかもしれないですね。不本意な仕事をしている人に「仕事のありがたみを知れ」とは言えないです。じゃあ、好きなことで食べていくには何が大事かというと、僕の場合は運がよかっただけなんですけど、あえてひとつ挙げるなら、続けることかもしれません。
音楽だけで食べていけるようになったのは30歳間近でしたから、「よくあきらめなかったね」と言われます。でも、正直に言えば、夢をあきらめるのがじゃまくさかったんですよ。夢をあきらめるというのはものすごくパワーのいることで、やめるにしたって親や友達にそれなりの理由を説明しなければいけないですよね。仕事も探さなければいけないけど、京大まで出て20代後半まで社会人経験のない自分を簡単に採用してくれる会社があるとも思えない。いろいろ考えていたら、じゃまくさくて、そんなことをするくらいなら貧乏生活の方がマシだと考えたんです。
そんな動機でも、続けたからこそ自分が作った曲をみんなに聴いてもらえるようになった。だから、よほど我慢できない理由がない限り、どんな仕事でも3年は続けた方がいいと思います。なんて、偉そうに語ってしまいましたが、本当のところ、僕が皆さんにアドバイスできることなんて何もないです。こうやってサイトを見て、学生のうちから将来を意識しているなんて、本当に素晴らしい。学生時代の僕に皆さんの爪の垢(あか)を煎じて飲ませたいくらいです。だから、自分の選んだ道に自信を持って歩んでいってほしいですね。
INFORMATION
2013年5月29日(水)にリリースされる7枚目のシングル『笑いの神様が降りてきた!』。表題曲は日本テレビ系で放送中のバラエティ番組『笑神様は突然に…』のテーマソング。ヒャダイン氏の真骨頂であるキャッチーでリスナーを飽きさせない展開に仕上がっている。写真の「Men’s Disc(LACM-14095/税込み1260円)」のほか「Lady’s Disc(LACM-14096/税込み1260円)」の2タイプの仕様で発売され、ジャケットのアートワークと3曲目のカップリング曲の内容が異なる。
取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康