井田寛子さん(気象キャスター)の「仕事とは?」|前編

いだひろこ・1978年、埼玉県生まれ。2001年、筑波大学第一学群自然学類化学科卒業。製薬会社勤務を経て、02年、日本放送協会(NHK)静岡局入局。キャスター・リポーターとして活動しながら、06年、気象予報士資格取得。08年より大阪局でレポーター兼気象予報士として勤務。11年、東京へ異動し、NHK『ニュースウオッチ9』の気象情報を担当。16年よりTBS『あさチャン!』気象予報士を担当。

オフィシャルブログ http://ameblo.jp/hiroko-ida/

大学受験も新卒時の就職活動も、第1志望には合格できなかった

-子どものころから自然と触れ合うことが好きだったそうですね。

虫やカエルを捕まえて持ち帰っては、母を困らせていました。動物や生き物を愛(め)でて「かわいい、かわいい」というよりは、「なんで生きているのかな」「なぜ動いているのかな」と観察するのがすごく好きで。小学生のころからずっと獣医になるのが夢だったんです。ところが、大学受験では獣医学部に合格できず、筑波大学で化学を専攻しました。

浪人をするという選択肢もあったかもしれませんが、私は立ち止まるということができないタチで(笑)。高校の先生の影響で化学も好きだったので、まずは前に進もうと考えたんです。それでも獣医になることをあきらめられなかったら、再受験すればいいと思っていました。結果的に、「宇宙化学」という興味を持てる分野に出合えて良かったですし、「私は動物というよりは自然そのものが好きなんだな」と視野を広げることもできました。

-マスコミに関心を持ったのは?

同級生のほとんどが研究職を志すような環境にいましたが、私には研究に対して彼らほどの強い志がないことを感じていました。では、自分は何がやりたいんだろうと考えた時に、テレビの科学番組が好きだったこともあって「自然や科学の面白さを伝える仕事もいいな」と思ったんです。そこで、大学3年生の時に都内のアナウンサースクールに通って準備をし、東京のほかに大阪や名古屋のテレビ局も受けましたが、不合格。採用していただいた製薬会社に入社しました。「就職浪人」という言葉もチラリと頭をかすめましたが、性格的にやはり立ち止まれなかったんです。まずは就職して仕事を頑張れば、新卒にはない経験を得られる。そうすれば、テレビ局に再チャレンジするとしても強みになると考えました。

製薬会社からNHKのリポーターに転職。会社員時代の経験が役立った

-製薬会社ではMR(医薬品情報担当者)として薬の営業をされていたんですよね?

医薬品の情報をお医者さまに説明するのが仕事で、新薬が出た時には大勢の医療関係者の前でプレゼンテーションをする機会もありました。「新卒にはない経験を得て、いつかはテレビ局に再チャレンジする」という目標があったので、毎日がものすごく楽しかったです。医薬品の知識を得られたこともそうですし、「伝える」ということを練習させてもらう機会がたくさんありました。最初は緊張してうまく話せなくて、テレビ局の採用試験に合格しなかったのも無理はないなと苦笑したほど。でも、回を重ねるうちに、話し方や表情など伝え方を工夫することが楽しくなって。「やはり人にものを伝える仕事をしたい」という思いが強くなり、インターネットで見つけたNHK静岡局の契約キャスター兼リポーターの募集に応募し、採用されました。

入局して担当したのは、情報番組。扱う情報は食や旅などさまざまな分野にわたりました。キャスターやレポーターというのは言葉の使い方はもちろん、一挙手一投足が見えてしまう仕事なので難しさも感じましたが、「伝えるということを極めたい」という思いがあったので、先輩から鍛えていただくのが楽しく、無我夢中の日々でした。

3年半勉強し、5回目のチャレンジで気象予報士試験に合格

-気象予報士を目指したのは?

NHKに入って3年目に夕方の情報番組のキャスターを務めることになって、少し自分を振り返る余裕ができたんですね。伝えるという仕事の中で自分が何をやりたいかと考えると、もともとは「自然や科学の面白さを伝えたい」と思っていたんだよなあと。ただ、自然というのは魅力的な面を持ちながら、一方では災害ももたらします。当時勤務していた静岡放送局では土地柄、地震や台風の報道が多かったのですが、自然災害が起こると、番組の内容を変更し、総力を挙げて最新の情報を報道する。「災害から人を守るのもテレビの大きな役割なんだな」と肌で感じ、自然災害の報道に携わりたいと思うようになりました。でも、テレビ局には災害に詳しい記者さんも、経験豊富なキャスターもたくさんいます。その中で自分が認めてもらうには、何らかの強みを持たなければと考えて、気象予報士を目指すことに。仕事を続けながら、時間をやりくりして気象予報士試験の勉強を3年半続け、5回目のチャレンジで合格しました。

資格取得後、NHK大阪局の気象キャスターのオーディションに合格するまでは2年ほどかかりました。災害報道への足がかりがつかめず、「このままでは資格を無駄にしてしまう」と焦ったこともあります。それでも、チャンスが来たときのために準備だけは怠らないようにしていました。テレビで流されるほとんどすべての天気予報を録画して、キャスターの言い回しや伝え方の工夫をチェック。天気図を分析して原稿にする練習もしていました。一方、仕事では東京への異動があり、キャスター・リポーターの業務に加えてディレクターとして情報番組を制作する忙しい日々。大変でしたが、やりたいことが明確だったので、つらいと思ったことはありません。

-大阪局を経て、NHKの主力報道番組『ニュースウオッチ9』の気象キャスターを5年間担当。2016年3月からはTBSの朝の情報番組『あさチャン!』でお天気キャスターとして活躍されています。これまでのお話をうかがうと、紆余(うよ)曲折はあったものの、常に前向きに歩まれてきていますね。

実は、うまくいかないときの落ち込みは激しいんですよ。夢や目標があると、それがかなわなかったときの喪失感というのは、やはり大きいですよね。適当な気持ちで何となくやっていたら、うまくいかなくても傷は浅いかもしれませんが、思い入れがあるほど、衝撃が強いもの。だから、落ち込むことは誰にでもあると思うんです。差がつくのは、そこからいかに気持ちのスイッチを入れ替えるか。物事がうまくいかないのは悔しいけれど、メソメソし続けて何かがつかめるかといったら、絶対にそうではないですよね。その悔しさをいかにバネにして、あきらめないかということが大事なんだと思います。

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後編では気象キャスターの仕事で大切にしていることや、今後の展望をお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 2月1日更新予定)

INFORMATION

『井田寛子の気象キャスターになりたい人へ伝えたいこと』(成山堂/1600円+税)。気象予報士になるための勉強術だけでなく、資格取得後にプロとして仕事をしていくために必要なことや、目標をかなえるまでの紆余(うよ)曲折についても語られており、一般企業への就職を考える人にも役立つ。

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取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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