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最初は職場の常識を受け入れ、自分を合わせていくことが大事
小学校2年生の時だったでしょうか。『アテンションプリーズ』というテレビドラマが放映されました。主人公の客室乗務員が着ている制服がそれはもう素敵で、姉たちと「みんな一緒に客室乗務員になろうね」と盛り上がりました。その時に、一番上の姉が「あなたは男だから、客室乗務員のこの制服は着られないの」と言ったひと言に私、がく然としてしまって。自分が男だということに初めて気づいたんです。
中学生になると、「女みたい」「気持ち悪い」といじめられるようになり、私には居場所がなくなってしまいました。大人になっていくことも、こわかった。男子たるもの、学校を卒業したらネクタイをしめてスーツを着て会社に入り、25歳くらいで結婚…というのが当たり前とされていた時代でしたが、自分にそんな生き方ができるとはとても思えなかったんです。そんな私にとって唯一の心安らぐ場所が、母が自宅で経営していた美容室の片隅でした。母の仕事ぶりを見ているのが好きでしたし、女の人がきれいになっていく様子を見ると「ああ、素敵だな」「いいな」と穏やかな気持ちになれました。
高校時代にはすでに美容室でアルバイトをし、卒業後には美容学校に行くと決めていましたが、美容学校の試験を受けた時、選んだ道に間違いはなかったと確信しました。それまでの私は「みんなと違う」という理由でつまはじきにされて生きてきました。でも、試験会場には個性的で、年齢もさまざまな人たちがいっぱい。私はこの世界で生きていこう、と思いました。
美容学校卒業後は横浜の高級美容室「髪結処サワイイ」に就職しました。当時の私には、世界的なスタイリングコンテストで優勝したいという目標がありました。それを実現するにはどの美容室に入ればいいかと先生に相談したところ、名前が挙がったのがそのお店だったのです。とても厳しい美容室で、誰ひとりとしてまともに続いた卒業生はいないと聞かされましたが、「絶対に頑張ります」と言って紹介してもらいました。
覚悟は決めていたつもりでしたが、住み込みの修業の厳しさは想像以上でした。毎日毎日、職場では「何もできない」と叱られ、寮では生活の中のちょっとした立ち居振る舞いまで注意される。あっけに取られて立ち尽くす私に澤飯先生の奥様がこう声をかけてくださったんです。「あなたの今までの常識を捨て、ここの常識に変えていきなさい。そうでないと、続かないわよ」と。
私にはその言葉の意味がさっぱりわかりませんでした。一生懸命やっても「そんなんじゃダメ」と言われてばかりで、自分の存在そのものが否定されているような気持ちに…。ところが、30歳で自分の事務所を立ち上げ、すべての責任を自分が取る立場になった時、奥様が私に伝えようとしたことがわかりました。
学生時代は家庭で学んだ自分の常識で行動してもある程度は許されますが、社会に出たら、職場ごとの常識というものがあるのです。その常識に自分が合わせていかなければいけません。若いときは「こうでなくてはいけない」という思い込みが強いですから、合わせていくことに抵抗を感じるかもしれません。かくいう私もそうでした。だからこそ、皆さんが不必要な苦しみを背負わないように言っておきたいの。自分の常識にこだわっていては、新しいものを吸収することはできません。最初は職場の常識を受け入れ、基礎を身につけて初めて「自分らしさ」も開花していくのだと思います。
壁にぶつかったら、思い出して。うまくいかないのはあなただけじゃない
「サワイイ」には8年間勤めました。私は不器用だったけど、叱られてばかりのみじめな状態から抜け出したい一心で必死に練習して、5年でお店のトップになりました。でも、「一度トップになったくらいでは本物にはなれない」と思っていたので、さらに1年、また1年と3年間トップであり続けました。その間に「ヘアメイクアップアーティストになりたい」という次の目標が見えてきたので、お店を辞める決意をしました。
それからがまた大変。経験もコネもないから、ほとんど仕事はありませんでした。ようやく雑誌の仕事を頂いても、最初は目も当てられない状態。美容院ではお客さまが外に出てもヘアが崩れないようかっちり仕上げるけれど、撮影では短い時間で決めるところだけ決めることが大事なの。そんな基本的なことも知らなくてスタイリングに1時間もかけて女優さんを怒らせてしまい、せっかく仕上げたものを本番5分前に崩されたこともありました。でも、「火事場のバカ力」はすごいですね。残り時間で納得するヘアスタイルを作り上げました。
だからって、その後いきなり腕が上がるなんてドラマみたいなことはありません。失敗して怒られて、次はどうすればいいのかを考えて…。それを繰り返しているうちに順調に仕事が来るようになって、いつの間にか「女優メイクのIKKO」と呼んで頂けるようになりました。
40代からは現場を離れて、美容家として化粧品や美容グッズのプロデュースを手がけています。ヘアメイクはその場で私が仕上げますが、化粧品はお客さまの普段の生活で使われるもの。私には見えない部分が多いから、よりいっそう神経を使います。同じ美容でも未知数の世界でしたから、最初は何もわからなかったんですよ。知り合いの美容ライターさんにお願いして、移動のタクシーの中で彼女のレクチャーを受ける日々を1年あまり続け、徐々に知識を蓄えていきました。
学生の皆さんにはまだピンとこないかもしれないけれど、人生って思い通りにはいかないものよ。新しいことをやろうとする時はなおさら。でも、その時に投げやりになるか、「よし頑張ろう」とひと踏ん張りするかで、その先に見えるものが違う。だから、壁にぶつかった時は思い出してほしいの。うまくいかないのは、あなただけじゃないって。それがわかれば、「工夫をしよう」って思うようになる。その工夫も、大げさなことじゃなくて。私の場合は毎日のウォーキングが大事な気分転換になっています。そういう「明日も頑張ろう」と思えるようなちょっとした工夫で十分なんです。
それから、世間を知ることは大事だけど、どうか「世間ズレ」はしないでほしいと思います。新人さんの武器は輝いた瞳。夢や希望をしっかり持った新人さんには「僕にもこういう時代があったな」「私もあのころを思い出して元気が出たわ」と組織を若返らせる力があります。そういう人にこそ、先輩も「教えよう」と思うのではないかしら。ちょっと上司にたたかれただけで「会社員なんてどうせ歯車」とわかったようなことを言う若い人もいるけど、そのくらいのことで夢を捨てるような人は「歯車」になって当然。輝いた瞳がなければ、新人がベテランに太刀打ちできるはずがありません。だから、めげない、めげない。瞳がくもったときにも初心を思い出し、輝いた瞳を取り戻せる人だけが人の心を動かす仕事ができるのだと私は思います。
愛をこめて。IKKO
INFORMATION
著書『男にも読んでもらいたい オンナ塾』(PHP研究所/税込み1470円)では、「自分」「成長」「仕事」「美」「運命」をキーワードにIKKOさんの人生哲学が語られている。同書には「要領が悪く、応用もきかなかった私は何をやるにも人一倍時間が必要でした。でも、自分らしく生きるには『美容』の仕事が必要だったから、苦労も苦労と感じなかった」とつづられている。悩み、苦しみながら、たゆまぬ努力を続けてきた人だけが語れる、心に響く言葉が散りばめられた一冊。
取材・文/泉彩子 撮影/村山良 ヘア/鷹部麻理 メイク/山縣亮介 着付け/里和