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掲載日:2012年3月7日

Vol.68 放送作家・ミュージシャン 倉本美津留

くらもとみつる・1959年広島県生まれ、大阪府育ち。大学卒業後、82年大阪・毎日放送『突然ガバチョ!』、MBSラジオ『ヤングタウン』のADに。同年、放送作家に転身し『EXテレビ』『現代用語の基礎体力』など画期的な深夜番組を次々と生み出す。90年代半ばから拠点を東京に移し、『ダウンタウンのごっつええ感じ』『たけしの万物創世紀』『伊東家の食卓』『笑う犬の冒険』など数々のヒット番組を担当。現在『爆笑 大日本アカン警察』『松本人志のコントMHK』などの番組を担当。また、『ダウンタウンDX』のトスポや『一人ごっつ』の大仏、『シャキーン!』のウロベエなど、声の出演も多い。WOWOWのドラマ・ドキュメンタリー『勝・新(KATSUARA)』では演出を、笑い飯のコントDVD『パン』では監督を務め、また「さくら学院」の“校長”としてアイドルグループをプロデュースするなど活動範囲は幅広い。ミュージシャンとして、バンド・リビドー解散後、ソロとして2001年アルバム『ニンポップ』でデビュー。NHK『みんなのうた』でオンエアされたYOUとのユニット曲『月』をはじめ共演も多数。

新しいことを思いついたら遠慮なくやってみたらいい

テレビ業界に入ったのは、音楽で世に出る足がかりをつかむためでした。10歳のときにビートルズに衝撃を受けてから彼らのように、「まったく新しい表現で世界を幸せにする存在になりたい」と思いつづけています。当時はバンドを組んで音楽活動をしていたのですが、ブレイクのきっかけのつかみ方がわからなかった。そこで、音楽業界の人脈を求めて23歳のときに大阪の番組制作会社に応募したんです。笑福亭鶴瓶さん司会の『突然ガバチョ!』など当時関西で人気があったお笑い番組を手がけていた会社でした。

業界に入り、「レコード会社の人たちと知り合えたら」くらいの気持ちで行ったら、面接で「キミ、面白そうだから入りなよ」と言われて、その足で『突ガバ』の会議に連れて行かれたんです。そこで見学していたのですが、たくさん出席者がいるのに、チーフディレクターが「アイデアないか?」と聞いても、シーンとしてたんですよ。それでほとんど部外者なんですが「はーい」と手を挙げて、「誰や?」と怪しまれながらも思いついたことをしゃべったら、その案がチーフディレクターの即断で採用に。その流れで『突ガバ』のAD(アシスタントディレクター)をやることになりました。

ボクはADとしてはデキがよくありませんでした。ディレクターの指示に従って動くのがADの基本ですが、ボクは人に言われたことをそのままやるのが苦手な人間なんです。どうしてもできない。指示されたことも「もっとこうしたら面白くなる!」と思って勝手に変えたりして「何やってんねん!」「使いものにならない」とディレクターによく怒られました。

でも、ありがたいことに、見てくれてる人はいるんですよね。偉い人ばかりの会議でも臆せずどんどん意見を出していたら、チーフディレクターが「倉本は面白いから、放送作家になったらいい」って言ってくれたんです。ADになって半年もたたないころです。「放送作家って何ですか?」とよくよく聞いてみると番組の面白いアイデアを考えればいい仕事らしい。それなら得意だと思って、やってみることにしました。

キャリアは浅くても、何かこれまでにないことをしようと表現していたら、面白がってくれる人がチラホラと出てきて、すぐにいろいろな番組に呼んでもらえるようになりました。もし「何でも上司の言われた通りに従わなければ」「下っ端だから会議では控えめにしていよう」と考える人間だったら、今のボクはないでしょうね。

小さいころはコンプレックスもありました。先生の言うことを聞かなくて勉強もスポーツも苦手。でも、あるとき気づいたんです。みんなが「できない」と思い込んでいることや、思いつかないようなことをやれば、クラスで一目置かれて女の子にもモテるって(笑)。じゃあ、何をすればいいんだろうといろいろ試した結果が、ボクにとっては音楽と笑いでした。だから、就職でも何でも、「これが正しいやり方だ」とか「みんながしている方法を自分も取らなくては」なんて考える必要はないと思います。人に合わせるために無理をすれば個性がつぶれてしまうかもしれない。自分の強みを伸ばした方がいいに決まってますよね。

「お前の職業って何やねん?」「“オレ”やねん!」

ダウンタウンに出会ったのはMBSラジオ『ヤングタウン』の構成を担当していたのが縁です。彼らはデビューしてまだ間もないころのことです。ボクね、当時「芸人って道もあるかな」って気持ちも多少あったんですよ。子どものころから人を笑わせるのが好きで、学生時代はコンビを組んで自分でコントを書いていたし、この業界に入ってからも自分みたいなタイプの芸人はいないなと思っていて。だけど、ダウンタウンと出会って彼らの才能を見て、自分の笑いの能力は彼らに捧げようと一瞬で思えたんです。ボクが考える「一番面白いこと」は、彼らと一緒に実現できるって。

30代前半には、放送作家としての拠点を東京に移しました。従来のベタな笑いとは違うものを世に問いたかったからです。『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、ダウンタウンがまさにこれから全国区という時期に、番組を一緒につくらせてもらえたのは幸運だったと思っています。彼らもボクも「誰もやっていないことをやってやる」という勢いがあったし、時代もそれを受け入れてくれた。自分たちが会議で考えていることについて「これ以上新しいものはないよな」と自負を持って常に作っていました。東京に出てからの10年間は後ろを振り返る余裕もなかったです。

仕事の動機として、最初は「自分を認めてほしい」という気持ちもあったと思います。いわゆる「モテたい」気持ちの延長です。でも、だんだんそういうことはどうでもよくなりました。番組を作り続けるうちに、自分が「面白い」と思えることを発揮することが、世の中のためになっていると実感できる瞬間があるようになったんですよね。まあ、勘違いかもしれませんけど(笑)。それでも、その手ごたえを知ってしまうと、もう自分だけがモテても楽しくない。みんなに喜んでほしいという考えになっていったんです。

誰もやらないこと、自分にしかできないことをやるという信念に変わりはありません。ただ、目的が自分の内側だけにあるか、外に開けているかだけの違いで。だけど、その違いはすごく大きいんです。人のためにやったときの方が思わぬ力が湧いてきて、考えていた以上に面白いものができたりするんですよ。

さらに、みんなに喜んでほしいという想いを突き詰めると、自分が作るものへの責任も感じるようになります。目の前の仕事が世の中にいい影響を残せるのか、大事なことを伝えられているのかと。それは笑いを作っているときも音楽活動をしているときも同じです。

放送作家として忙しくなってからも、音楽は並行してずっと続けています。ライブもして曲も作って。そもそも、僕には「放送作家になる」「ミュージシャンになる」と、選択肢として分ける意識はなかったですね。こころざしはどちらも同じで、たまたま前者のボリュームが大きくなっているという感じなんです。番組を企画したり、ライブで歌ったり、テレビに出たり。「お前の職業って何やねん?」と聞かれたら、「“オレ”やねん!」としか答えられないような人生を送ってますけど、何とか生きてる(笑)。だから、みんなにも伝えたいんですよ。自分の中から湧き出てくる本当にやりたいことを続けていきさえすればいいんだって。

やりたいことや向いていることがわからないっていう人もいますよね。でも、探そうと思えば絶対見つかります。片っ端からいろんなことをやってみるのも手だし、子どものころにさかのぼって自分が好きだったものを思い返してみるのもいい。それでも見つからなければ、おじいちゃん、おばあちゃんが自分の世代に何をやっていたかを調べてみると「オレ、向いてるかも!」と意外とヒントになるかもしれません。一番ダメなのは、既成概念にとらわれて、「面白そう!」「やってみたいかも!」という気持ちにフタをしてしまうこと。心があって、愛があれば、何を選んでも大丈夫!

information
倉本氏のアルバム『躾(しつけ)』(ビクターエンタテインメント/税込2500円)。園子温監督の映画『自殺サークル』の主題歌である「それではみなさんさようなら」、“しやわせな偶然に感謝する”という自身の哲学を歌にした「C幼笛」などを含む全15曲。少し昔の教科書をイメージしたジャケットデザインは、公私ともに付き合いのあるアートディレクター・森本千絵氏が担当している。
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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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