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掲載日:2012年11月28日

Vol.86 プロゲーマー 梅原大吾

うめはらだいご・1981年青森県生まれ。5歳でゲームを始め、98年11月、17歳にして『STREET FIGHTER ZERO3』の世界大会に優勝。日米を代表する格闘ゲームの祭典「Evolution」で優勝するなど世界的に活躍するが、2004年にゲームを中断。麻雀士、介護士を経て10年4月、米国のゲーム周辺機器メーカー・MadCatz(マッドキャッツ)とプロ契約を締結。同年8月「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス世界記録に認定。プロ格闘ゲーマーとして世界中の大会に出場するほか、ゲームの広報活動やゲームイベントの企画に携わっている。
ウメハラ公式サイト:http://daigothebeast.com/

ゲームで遊ぶこと自体には中学生時代に情熱を失っていた

「自分の好きなものを見つけて、徹底的にやれ」と父に言い聞かされて育ちました。ただ、その「好きなもの」がゲームだとは父も想像していなかったでしょう。「ゲームをやめろ」とは決して言いませんでしたが、中学生になってもゲームばかりしている息子を見ていい顔はしませんでした。僕自身も悩みました。みんなは勉強やスポーツに打ち込んでいるのに、自分はなぜゲームしか好きになれないんだろうって。

一方で、「ゲームにしか打ち込めないのなら、とことんやるしかない」という思いがありました。当時は家庭用ゲームよりもアーケードゲーム(ゲームセンターで利用される業務用ゲーム)の方が圧倒的に迫力のあった時代です。中学1年生の終わりごろから、電車に乗ってゲームセンターに通い、対戦型格闘ゲームの武者修行を続けました。繁華街ですから、ヤンキーもたくさんいましたよ。対戦すると、威嚇(いかく)してくるんです。台をたたいたり、顔をのぞきこんできたり。頼りになりそうな大人はいないし、まあ、緊張感はあるんですね(笑)。でも、脅しには絶対に屈しませんでした。親や友だちには認めてもらえないさみしさを味わっても、自分はゲームをやっている。そのゲームで負けるわけにはいかないという意地があったんです。

ゲームセンターには学生だけでなく大人もいました。ゲーム好きな人はたくさんいましたが、僕ほどプレイ時間の長い人はいなかったと思います。僕はもともと物事を要領よくこなせるタイプではありません。対戦相手が100時間やるなら自分は300時間やり、攻略のための分析も徹底して初めて勝てるという意識でした。その結果、中学3年生の時に全国大会で優勝。高校2年生の時には米国・サンフランシスコで開催された世界大会に招待され、世界一になりました。

なぜそこまでゲームにのめりこんだのか。格闘ゲームというのが、人と人の勝負だからです。勝負をすると、いろいろな感情が生まれてくるじゃないですか。悔しかったり、慢心したり、妬んだり、認めたり。そういう感情をコントロールするよう努力したり、みんなに恥ずかしくないよう自分を高めていくことで、人とのつながりができていくことに奥深さを感じていたんです。ゲームで遊ぶこと自体には中学生のころには情熱を失っていました。

自分が真剣に取り組んでいる姿を世の中に見せれば、いつかゲームも僕自身も認められる日がくる。高校卒業後、飲食店などのアルバイトで資金を稼ぎながらゲーム中心の生活を続けたのは、そう信じていたからです。でも、卒業後5年たってもその日は来ませんでした。世界規模の大会に出場を続け、何度も優勝しましたが、高校時代と何も変わらなかった。ゲームが仕事になると期待していたわけではありませんが、あまりに成長がないと感じました。だから、23歳で一度ゲームを離れ、麻雀の世界でプロを目指す決意をしたんです。

うまくいかなかったところを直し続ければ、自然と成長する

麻雀を選んだのは、格闘ゲームと同じ「人と人が勝負する世界」だったからです。雀荘でアルバイトをしながら3年修業。プロの雀士と互角に戦えるまでになり、やはり自分は勝負の世界で生きていく人間なんだと思いました。ところが、いざプロ資格を取ろうという段階になって経験したのは、恨みと嫉妬の渦巻く世界。勝者と敗者が切磋琢磨(せっさたくま)し合うというような、ゲームの世界で自分が経験してきた勝負とはまったく異質のものでした。これが趣味と仕事の違いだと知ると同時に、自分は勝負だけではダメなんだと思いました。何事も「勝負ありき」で考えてきたけれど、そこで生まれる人との関係性こそが自分を動かしていたことに初めて気づいたんです。

なぜ26歳の今まで気づかなかったのだろうと情けなくなりました。自分には勝負の世界しかないと思い込み、ゲームも麻雀も全力でやったのに、何も残らなかった。それまで誰に何を言われても「自分で選んだ道を歩んでいるんだからいいんだ」と信じ続けてきた僕も、さすがに落ち込みました。でも、人生まであきらめるわけにはいきません。何かを始めなければと考えた時、思い浮かんだのが介護の仕事でした。父が病院で働いていて、母は看護師だったので、医療系の仕事は僕にとっては身近だったんです。

正直なところ、「人と人が触れ合う世界で、のんびりと心の傷をいやしたい」という甘い幻想もどこかにありました。ところが、いざ介護の仕事を始めてみると、勉強することばかり。体力的にも大変で、あっという間に毎日が過ぎていきました。それがよかったのかもしれません。少しずつ気力も取り戻し、ホームヘルパーの資格取得のために勉強するなど介護の仕事に前向きに取り組むようになりました。利用者の方から感謝されるとやはりうれしかったですね。同時に、自分は勝負事がなくても平気なんだと驚きました。

友人に強引に誘われて3年半ぶりにゲームセンターに入ったのは、そんなころ。ゲームを離れると決めてからは「趣味でゲームはやらない」と一切足を運んでいなかったんです。ところが、久しぶりにゲームをやってみると、驚くほど勝てる自分がいました。仕事では駆け出しでまだこれといった力を発揮できない自分が、ゲームではみんなに「すごい」と認めてもらえる。そのことが素直にうれしくて仕事帰りにゲームセンターに通い始めました。

勝負とは関係なく、ゲームは面白い。自分の人生にはなくてはならないものなんだ。そう考えるようになると、意外にもゲームの世界で道が開けていきました。大会にも再び出場するようになり、2009年にはサンフランシスコで開催された大会で優勝。翌年に日本人としては初めて米国の企業からスポンサー契約のお話を頂き、プロゲーマーとして活動するようになりました。介護の仕事は1年半続けましたが、ゲームの片手間にできる仕事ではないので、プロになる時に退職させていただきました。まわり道をしましたが、ゲーム以外の世界を経験することで自分にとってゲームがいかに大切かを知ることができた。僕には必要な時間だったと思っています。

プロになった当初は海外の大会に出てスポンサー企業のプロモーションに協力するくらいしか仕事がありませんでしたが、今はゲームの開発やゲームイベントのプロデュースに携わったり、講演に呼ばれたりと活動内容が広がってきました。米国ではゲームのジャンルによっては億単位の賞金が出る大会もあり、プロゲーマーも定着してきているのですが、日本ではまだこれから。僕がプロを宣言した後に10人くらいのプロゲーマーが誕生しましたが、その先陣としてゲームやプロゲーマーの認知度を高めていくのも自分の役割だと思っています。ゲームに真剣に取り組んでいる人たちの姿をきちんと伝えたいので、言葉や行動に責任を感じるようになりました。

ゲームの世界ではプロとアマチュアの境目があいまいです。プロはアマチュアよりも集中して攻略法を研究できるので、新しいゲームが出た時は圧倒的に有利ですが、情報が広まるにつれて差がつきにくくなります。発売から時間がたったゲームでは、プロがアマチュアの強豪に負けるということも起こりえる。では、プロの意味とは何なのかと言うと、今はゲームを観るだけの人も多いので、自分のプレイで人の心を動かす力がプロには求められます。常に成長を目指し、どんなに劣勢でも勝つことをあきらめない。そういう姿を見た人を「よし明日も頑張ろう」とか「俺も頑張ろう」という気持ちにさせるのが僕の仕事です。

成長し続けるためには、常に自分で課題を見つけ出し、自分自身にやる気を出させることが大事だと思います。ゲームなんて特にそうで、ひとつのゲームを何万回とプレイしますから、毎日同じことの繰り返しだと思ってしまえば、とても継続できません。「自分で課題を見つけ出す」なんて言うと難しく聞こえますが、何かひとつでもうまくいかなかったことを思い出してみるといいんです。「どうすれば成長できるか」なんて頭を悩ませても、範囲が大き過ぎてムリ。でも、「ここがよくなかった」というのは確実に気づけます。それを直し続ければ、自然と成長していくという寸法です。「ほかの人に比べて自分はこの作業が遅いから、早くできるよう工夫してみよう」「あの人に嫌われているから、理解し合えるよう話しかけてみよう」など何でもいい。自分で課題を見つけてクリアしようとした時、単なる「作業」も「仕事」に変わるのだと思います。

information
梅原氏がプロゲーマーになるまでの道のりと、数々の世界規模の大会で優勝してきたゲーマーとしての勝負哲学を語った『世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 勝ち続ける意志力』(小学館101新書/税込み777円)。少年時代から「たかがゲーム」という視線に耐え、自ら選んだ道で「どうすれば自分を向上させられるか」を考え続けてきた梅原氏ならではの深い仕事観にうならされる。「本を書くことで、『ゲーマーという得体の知れない人たちも、真剣に物事を考えてるんだ』と感じてもらえたらうれしいです。ゲームに限らず、腰を据えてひとつのことをやれば、得るものはきっとあるはず。ただ、僕の場合はゲームが好きだったからこそ、頑張れた。ゲームに感謝しているので、自分の活動を通してゲーム界全体を盛り上げていければと思っています」と梅原氏。
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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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