何をやるにも、3年は集中しないと成長も何もあったもんじゃない
石川県の田舎町から上京し、防衛大学校に入学したものの、将来をひとつの道には決めかねて3カ月で退校。父から勘当同然の身で、なすすべもなく東京での仕事を探していた時にたまたまビジネス情報誌で見つけて働き始めたのが、ITベンチャー企業のガイアックスでした。ガイアックスにはAppBankを法人化するまでの12年間在籍し、執行役員も務めましたが、入社時の私はパソコンが使えず、インターネットについても何もわからない状態。面接をしてくれた部長さんがたまたま器の大きい人で、何もできない私を「面白そうだから」という理由だけで個人的なアシスタントとして拾ってくれたんです。
1年後に正社員として採用されるまで、月給は3万円。「住むところがないなら」と会社に寝泊まりさせてもらっていましたし、食事は社員の人たちが食べさせてくれたので、十分暮らせました。後で知りましたが、この3万円は部長さんがポケットマネーで払ってくれていたそうです。そこまでお世話になった会社を私は3回辞めています。独立のための最後の退職を除くと、働き始めて5カ月目と1年半目の2回です。営業の実績がまったく出せず、この業界は向いていないんじゃないかと別の仕事をしたり、アメリカに旅をしたりしましたが、まあ、若かったんですね。今思えば、単なる現実逃避でした。
面白いように実績が出るようになったのは、3回目の入社から3年がたったころから。きっかけはその1年ほど前に営業からコミュニティサイトの制作・運営チームに異動になったことです。ずっと営業をやってきたのに大きな数字を作れないまま異動するのは、ショックでした。しかも、私が担当したのはWebサイト制作のための議事録作成。来る日も来る日も朝から晩まで、会議で誰が何をしゃべったのかをタイピングし続ける仕事です。
最初は正直、「つまらない」と思いましたが、出戻りの自分を2回も受け入れてくれた会社に何の貢献もしないまま辞めるわけにはいきません。そこで、最低1年は続けようと踏ん張ったのが幸いしました。大きなプロジェクトだったので、ひとつのサイトを制作するためにさまざまな担当者がおり、クライアントとの長時間の会議では担当者が入れ替わります。その間ずっと会議に参加しているのは私だけ。また、議事録はその場にいなかった社員にもわかりやすいよう内容を整理して作成する必要があるので、半年後にサイトが完成し、いざ運営となった時にはプロジェクト全体を細かな部分まで把握しているのは私ひとりという状況になっていました。自然と周囲から頼られ、運営の実務を任されたり、同様のサイトをほかの会社に売り込む際に営業と同行して説明をしたり、営業の企画書を作るといった本来の担当業務以外の仕事を任されるように。そのうちに私がかかわった営業案件がどんどん決まり、最終的には営業担当の執行役員になりました。
営業としてひとりで必死に頑張っても成果が出なかったのに、議事録担当として目の前のことを腰を据えてやっていたら周りの役に立てるようになるなんて、仕事って面白いものだと思いましたね。社会に出たばかりのころは早く成長したいと焦るものですが、半年や1年では何もわからない。何をやるにも、3年くらいは集中しないと成長も何もあったもんじゃないです。
どうせやるなら面白いこと、大きいことをしたい
私は嫌いなことは徹底的にやりません。逆に、好きなことや、自分にとって価値の見いだせるものなら、すぐに利益が出ないことでもやります。iPhone(アイフォン)のアプリ情報メディア・AppBankを立ち上げた時もそうでした。
2008年にiPhoneが日本で発売された当時は従来型の携帯電話が主流で、iPhoneははやらないだろうと言われていました。私もさほど興味はなかったんです。ところが、日本での発売数日前からのお祭り騒ぎに興奮し、行列に参加したくなってしまって(笑)。徹夜で並んでiPhoneを手にした時、その使い勝手の良さは衝撃でした。AppBankを一緒に立ち上げた友人・宮下の「3年後にはiPhoneが携帯端末を凌駕(りょうが)し、iPhoneこそがインターネットそのものという時代が来る」という言葉にうなずいたものです。
私はずっとインターネットの世界で仕事をしてきて、インターネットのフラットなところが大好きでした。向こう10年、20年この世界にいたいと考えるなら、iPhoneのこの小さな画面の上にビジネスを作れなければ仕事ができなくなる。そう直感して、自分に何ができるかを考えた時に、私はアプリの開発者でもないし、技術もない。手始めにできることと言えば、ブログを書いてアプリを紹介し、iPhoneの市場を盛り上げることかなと思い至って誕生したのがAppBankでした。
13年からは「ニコニコ生放送」や「YouTube」でアプリゲーム「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」や「モンスターストライク(モンスト)」などのゲーム実況動画にも出演しています。今ではたくさんの方に見ていただいていますが、私たちがゲーム実況動画を始めたとき、スマートフォンのゲーム実況は注目されていませんでした。それでもやってみたのは、「パズドラ」や「モンスト」が配信されたとき、スマートフォン市場を大きくするゲームだと感じ、自分たちのできることで盛り上げたいと思ったからです。「パズドラ」はRPGとパズルが融合した珍しいゲームアプリで、キャラクターの魅力もある。「モンスト」は最大4人で同時プレイでき、仲間とわいわい遊べる。それまでのゲームアプリにはない面白さがあって、PlayStation2(PS2)の『モンスターハンター』やWiiやDSの『マリオパーティー』といった家庭用ゲーム機と同じような雰囲気がスマホでも出せるなと考えていました。
つまり、すべての起点が会社の事業をはやらせたいとか、会社を生き残らせたいといったことではなく、自分がやりたいかどうか、好きかどうかなんですよ。偉そうな言い方かもしれないですけど、何をしてもかろうじて生き残れるくらいの力は自分たちにあると思っていて。どうせやるなら、面白いことをしたいし、大きいことをしたい。会社の事業をどうするかを考えるのではなく、もっと大きく、何をすればスマートフォン市場を盛り上げられるかと考える。結果的にそれが事業になるという発想なんです。
好きなことを仕事にするのは難しいと言う人もいますが、自分が好きになれないことを世に出すのは違うと私は思います。好きなことを続けるために、その好きなことでどうやってお金を稼ぐかを考えないと。AppBankはiPhoneの周辺機器を扱う実店舗事業や飲食事業など数年前には思い描いていなかった新規事業をどんどんやっていますけど、やりたいことがあったら、取りあえずはやってみるというスタンスなんですよ。そして、実際にやってみてこれは面白いな、続けたいなとなったら、どうやってお金を稼ぐかをきちんと考えて結果も出さなくちゃいけない。好きなことをやり、そこに責任が伴う。それが仕事というものですよね。
INFORMATION
初の自伝本『マックスむらい、村井智建を語る』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス/税抜き1200円)。人口約9000人の奥能登・穴水町の家族経営の牧場に生まれたマックスむらいこと村井智建さんが24歳でIT会社の社長になり、26歳でiPhoneやiPadのアプリを紹介する人気情報サイト・AppBankを立ち上げるまでの出来事が語られている。
取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康