こぐれたいち・1977年千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、富士フイルム、サイバーエージェント、リクルートを経て31歳で出版社・マトマ出版を設立し、作家として独立。学生時代から難しいことを簡単に説明することが得意で、大学在学中に自主制作した『気軽にはじめる経済学シリーズT.K論』が大学生協や一般書店で累計5万部を突破。国内外の大学の指定教科書としても採用されている。現在は書籍の執筆や企業・大学・団体向けの講演活動を行い、フジテレビ『とくダネ!』などテレビ番組のコメンテーターとしても活躍。実務経験に基づいたわかりやすい伝え方に定評がある。著書に『カイジ「命より重い!」お金の話』(サンマーク出版)、 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(星海社新書)、 『今までで一番やさしい経済の教科書』(ダイヤモンド社) など。一般社団法人教育コミュニケーション協会代表理事。
経験を積み上げられるかどうかは、今、この瞬間の姿勢で決まる
経済学やビジネスに関する本をたくさん書いてきましたが、ジャンルにこだわりはないんです。経済学でも物理学でも、数学でも何でもいい。どんなジャンルであれ、難しいことをわかりやすく伝えるというのが僕のテーマですし、目標でもあります。
物事を人にわかりやすく説明するのは、中学時代から好きでした。僕が通ったのは田舎の公立中学校。難関の高校を目指すやつから、頭にそり込みを入れてろくに授業に出ない不良グループまでいろんな生徒がいたんですね。いわゆる「優等生」よりも話しかけやすかったのか、試験前になると、不良グループが僕のところに「勉強を教えてくれ」とやってくるんです。不良と言っても、田舎だからみんな純粋で、試験勉強だけはちゃんとやるというのがかわいらしいんですけど(笑)。
その時に、なんだかうれしかったんですよ。取り立てて目立った存在ではない自分を誰かが頼りにしてくれるということが。だから、一生懸命教えようとするんですけど、彼らは授業に出ていないので前提知識がなかったり、集中して聞くことに慣れていなかったりで、すぐに理解してもらえない。そこをわかりやすく伝えるにはどうすればいいのかを考えるのが面白くて、授業も「あいつらに教えるには、ここはどんな言い方をすればいいかな」と考えながら聞いていました。
そうやって自分なりにわかりやすい教え方を突き詰めていたのが良かったのか、悪かったのか、大学に入ると、教授たちの教え方のわかりにくさにゲンナリしてしまって(笑)。授業に出なくなってしまった科目もあったのですが、そのかわりに教科書で独学して、数カ月前から何年分もの過去問を集めて論述式の解答を書き、試験の準備は万全にしていたんです。すると、いろいろな設問に対する解答ができあがりました。テスト範囲の教科書のようになったんですね。そのコピーを友人にあげたら、とても喜ばれました。友人の一人から「もうちょっと書き足せば、本にできるのでは?」と言われたことがきっかけで経済学の入門書を自費出版したところ、5年間で5万部ほど売れました。
卒業後は、富士フイルム、サイバーエージェント、リクルートを経て31歳で作家として独立し、今に至ります。これまでの経緯をお話しすると、「もともと作家になりたかったんですね」「戦略的なキャリア・パスですね」なんて言われるのですが、違うんですよ。父親が自営業だったのでなんとなく「自分もいつかは独立するのかな」とは思っていましたが、事業規模にかかわらず経営の責任を担うというのは大変なこと。「自分が本当に興味を持てて、精神的に落ち着ける仕事」でないととても続かないと考えていました。その仕事が何なのか、学生時代はわからなかったんです。自費出版は楽しい経験でしたが、それで食べていけるほどの利益はありません。当時は仕事になるとは思えませんでした。
正直なところ、富士フイルムに就職したのは「なんとなく」でした。特にやりたいことがあったわけではありませんが、取りあえず入社して何かを見つけようと思っていました。ところが、僕がいたころの富士フイルムはすでに確立されたビジネスがありました。与えられた仕事は一生懸命やりましたが、その先が見えず、ビジネスをどんどん創っていく環境で働いてみたいと入社3年目にサイバーエージェントに転職したんです。
サイバーエージェントには営業職として入社しましたが、社内で出版事業を立ち上げるにあたり事業責任者を任されました。サイバーエージェントの藤田晋社長が僕を起用したのは、営業部時代の上司の推薦があったから。新しい事業を立ち上げるには、膨大な業務を期限内に着実にやることが必要ですが、「木暮くんならできます」と上司が言ってくれたそうです。
「膨大な業務を着実にやる」というのは富士フイルム時代に鍛えられた力ですが、僕自身はそれが自分の強みだと気づいていませんでした。むしろ取るに足りないものだと思っていたのに、いざ事業を立ち上げてみると、大きな武器になった。その時に気づいたのは、自分の強みというのは今までやってきたことの中に何かしら必ずあるということ。そして、自分でその強みを意識して、育てていくことが大事だということです。
サイバーエージェントの出版事業では、『渋谷ではたらく社長の告白』やテレビドラマ化された『実録鬼嫁日記』などたくさんのベストセラーの誕生にかかわり、またとない経験をさせてもらいました。ただ、事業責任者というのは全体の管理が仕事なので、個々の書籍を担当する編集者と違って、一度仕組みを立ち上げてしまうと、同じことの繰り返しなんですね。それで、まだ28歳でしたし、少し新しいことをやりたくて藤田社長に転職の相談をしたところ、「外の空気を吸って、またタイミングが合えば、戻っておいで」と快く送り出してもらったんです。
その後、リクルートのベンチャーキャピタル部門でビジネスの基本的な見方を学び、独立。作家として活動を始める一方、小さな出版社も設立しました。さまざまな経験をするうちに、かねてから独立の条件として考えていた「自分が本当に興味を持てて、精神的に落ち着ける仕事」が具体的にイメージできるようになり、「今だ」と思ったんです。振り返ってみると、すべての経験が今に生きていますが、これまでにお話しした通り、実は割と行き当たりばったりなんです(笑)。それでも一つひとつの経験を無駄にせず、積み上げてこられた理由はただ一つ。その時々でものすごく真剣に物事に向かい合ってきたからだと思います。
仕事ってどんな職種も本質的には同じ。うわべだけでお茶を濁すか、「本当に大事なことは何か」を考えて、今、この瞬間を頑張っていくことを続けるかどうかで、経験を積み上げられるかどうかが決まるのではないでしょうか。
「果てしない夢」を目標にしてしまうと、足元をすくわれる
会社選びで給料を重視する人は多いですし、自分の労働力の価値を考えることはとても重要なことです。でも、給料よりもさらに大切なものがあります。それは、その仕事に幸せを感じるかどうかです。概念的には、給料や昇進など社会的評価から得られる「満足感」から肉体的・時間的労力や精神的苦痛などの「コスト」を差し引いたものです。この仕事の幸福度のことを僕は企業会計になぞらえて「自己内利益」と呼んでいます。
企業会計で「利益」とは「売り上げ」から「費用」を差し引いたもの。「売り上げ」がどんなに良くても、「利益」がなければ、そのビジネスは意味がないと判断されます。当然ですよね。ところが、働く個人の会計となると、「自己内利益」を管理できている人はあまりいません。例えば、年収1000万円の仕事をするチャンスがあれば、自分が費やす「コスト」を考えずに飛びつく人は少なくないでしょう。でも、その仕事をすれば本当に幸せになれるのでしょうか。
収入は多い方がいいかもしれませんが、その収入以上に、精神的・肉体的疲労が高くついてしまったら「赤字」になります。もちろん、目標を持って頑張るのは大事なことですが、そのために何を「費用」として払い、自分はそれに耐えられるのかを見極めなければいけません。
僕は取材で何人もの「カリスマ経営者」にお会いしてきましたが、お話を聞かせていただくと、彼らの人生はほぼ間違いなくジェットコースターです。当たる光が強くなればなるほど、その後ろにできる影も濃くなるものです。その「影の部分」を乗り切る力がある人もいます。でも、僕が同じ経験をしたら、とても生きている自信がありません(笑)。光の当たる面だけを見て彼らを目指し、いつもしんどそうにしている人たちもたくさん見てきました。
地盤がしっかりしていないうちに「果てしない夢」を目標にしてしまうと、足元をすくわれてしまいます。大事なのは、自分としてリアリティーを持てる夢を描くこと。そして、「自己内利益」が赤字にならない仕事を選ぶことです。その答えに正解はありませんし、僕がそうだったように、実際に社会に出て、仕事をしてみないとわからないところが多くあります。それでも、学生の皆さんにぜひ言いたいのは、自分に素直に仕事を選んでほしいということ。自分が本当に幸せを感じるのはどんな働き方なのかを考えず、「世間体が良いから」「大企業だから」という理由だけで会社を選ぶと、社会に出て数年もしないうちに「自己内利益」はマイナスに転じます。
採用面接でよく「自己PRをしてください」という質問がありますが、たいていの人は企業が求めている人材像に自分を無理やり当てはめて答えているというのが実態なのではと思います。自己PRを一生懸命考えることは大事ですが、素直になった方がいい。あなたが無人島に独りでいても、本当にその仕事をやりますか? 周りの目がなくても、やりたいと思える仕事なのかをじっくりと考えてみてほしいと思います。
INFORMATION
人気漫画『カイジ』をもとに、競争の激化した時代を生き抜くための「働き方」について説いた『カイジ「勝つべくして勝つ!」働き方の話』(サンマーク出版/税抜き1500円)。「お金&働き方&生き方は三位一体。どれかひとつが欠けても幸福感は得られない」「仕事で追求すべきは“楽”ではなく“快”」など企業で働いてきた著者ならではのリアルな視点が参考になる。
取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康