就職ジャーナル | 1日10分の社会勉強サイト

HOME > 仕事・キャリア > 仕事とは? > 安西水丸氏

掲載日:2011年7月27日

Vol.52 イラストレーター 安西水丸

あんざいみずまる・1942年東京都生まれ。日本大学芸術学部美術学科造型コースでグラフィックデザインを学ぶ。卒業後、電通、ニューヨークのデザイン会社、平凡社でアートディレクターを務めた後、81年フリーのイラストレーターとして独立。広告、装丁、小説、エッセイなど多方面で活躍している。東京イラストレーターズソサエティ理事長、日本グラフィックデザイナー協会、日本文藝家協会、日本ペンクラブ、各会員。著書に『青豆とうふ』(新潮文庫)、絵本『がたんごとん、がたんごとん』(福音館)、共著に『村上朝日堂の逆襲』(新潮文庫/文・村上春樹)など多数。

「詐欺師」じゃないんだから、入社したからにはそこの仕事を一生懸命するべき

イラストレーターには中学時代からなりたいと思っていました。絵を描く人はたいていそうですが、僕も最初は芸大を目指そうと考えましてね。芸大志望の人たちが通うデッサン教室をのぞいてみたのですが、ほかの人たちの絵があまりにうまいことにびっくりして、あっさりあきらめました。次に憧れたのが日本大学芸術学部。当時の日本ではまだ一般的ではなかったバウハウス(1919年に設立されたドイツの実験的な造形学校)システムでグラフィックデザインを学べるのがいいなと思いました。日本大学は総合大学なので、一般的な美術大学と異なり、語学や一般教養などの学科が充実しているのも僕には魅力でしたね。絵は好きだったんですけど、視野の狭い「絵バカ」にはなりたくないなと思っていました。

取りたててお話しするようなこともない学生時代でしたが、勉強はよくしました。自分で希望して入った学校なので、やるべきことはやろうと思って。課題も全部出して卒業し、電通に就職。アートディレクターとしていろいろな商品の広告を制作しました。芸術系の学生にはサラリーマンを馬鹿にするような芸術家かぶれみたいな人がたくさんいましたが、僕にそういう考えはなくて、最初はきちんとした会社に入ろうと思っていました。いずれフリーランスのイラストレーターとしてやっていくんだったら、世界に通用する企業の入社試験くらいパスできなくて何ができるという気持ちがあったんです。

イラストレーターとして独立するまでに、電通、ニューヨークのデザイン会社、出版社の平凡社と約15年間会社勤めをしました。海外のイラストレーターの経歴を見ますと、僕は非常に平凡な形でイラストレーターになっていますね。日本では学校を卒業したばかりでも仕事がちょこちょこ入ってくるので、飛びつく人も多いけれど、すぐに飽きられて消えてしまったりする。その点、広告や出版の会社で働き、イラストレーションを依頼する側の視点をきちんと学べたのは本当によかったと思っています。

さらにありがたかったのは、社会人としての基本が身についたことです。イラストレーションを学ぶというのは個人的なことだと僕は思っていて、イラストレーターとして仕事をするには、イラストレーション以外のこともできるようにならないといけないんですね。目上の人とも失礼のないように話ができたり、聞かれたら自分の考えをきちんと説明できるとか、約束の時間を守るとか。当たり前のことのようですが、みんなができるわけじゃない。特に言葉づかいは大事だと思いますよ。人とぶつかったときも自分を守るのは言葉づかい。どんなやくざ者でも、こちらがきちんとあいさつすれば、向こうもちゃんと接してくれるというところはある気がします。

イラストレーションの仕事は平凡社で働いていた30代前半に二足のわらじで始め、38歳で独立しました。作家の嵐山光三郎が当時編集者として同じ会社にいて、個人的に文章を書いているから一緒に仕事をしないかと声をかけられたのがきっかけです。「絵、描ける?」と聞かれたので、「ええ、描けます」と答えたんですが、僕がイラストレーター志望だということを嵐山は知らなかったんじゃないかな。イラストレーションを描いていることを言ったことはありませんでしたし、会社ではエディトリアルデザインの仕事に集中していましたから。

会社にいると、「本当の自分は詩人なのに」「作家志望なのに」なんてヘンなことを言う人が結構多いものですが、それは嘘。いくら詩人や作家を目指していても、生活の糧を得ているものがやっぱりその人の職業なんです。入社面接では「入りたい、入りたい」なんて言っておきながら、入ると「こんな会社っ!」とか言い始める人もいますが、おかしな話です。詐欺師じゃないんだから、入社したからにはそこの仕事を一生懸命するべきだと思いますよ。

人間は劣等感を持つと、100歩後退どころか3000歩くらい後退する

いずれはイラストレーターにと常に思っていたので、会社勤めをしていたときに雑誌などで同世代のイラストレーターの活躍ぶりを見ると、やはりうらやましかったです。「いいなあ、僕もこんなふうになりたいな。どうやったら、なれるかなあ」って。ただし、「悔しいなあ」とは思わないようにしていました。人間は劣等感を持つと、100歩後退どころか3000歩くらい後退しますから、卑屈な気持ちだけは絶対に持ちたくなかったんです。

第一、焦らなくても、僕は必ずいつかはイラストレーターになれると思っていました。7人兄弟の末っ子で母親にすごくかわいがられたせいか、小さいときから自分に自信はあったんです。もっと言えば、自信だけしかなかった(笑)。絵にしても、僕よりうまい子はたくさんいて「うまいなあ」と感心したけど、自分の持っている感覚、ものの見方というのは誰にも真似できないだろうという気持ちがすごくありました。学校を通う道一つを選ぶにしても、この道はこんな感じがする、あんな感じがすると考えて、「いい道のベスト10」などをつくったり。そういうことが僕は好きでした。

僕は比較的就職試験にツイていて、必ず受かるんですよ。局地戦で人と争ったり、強く自己主張するのは好きではありませんが、プレゼンテーションも負けたことがありません。やっぱり物事というのは自信を持って臨む方がうまくいくんですよね。僕も面接をする側を経験したことがありますが、落ちる人は落ちる顔をしています。

フリーのイラストレーターになって30年。特別な賞を受賞したわけでも、有名なアートディレクターに認められたわけでもないのに、村上春樹や嵐山もそうですが、身近な友達をきっかけに仕事がきて、一つ仕事をすると、次の依頼がくる。友達には本当に恵まれましたが、自分でもよく頑張ったなとは思います。仕事というのは一つひとつがプレゼンテーションなので、ひどい絵なんて1枚でも描こうものなら、「私はこんなひどいイラストレーターなんです」ということを世界に知らしめるようなもの。そういう意味では厳しいです。

僕がやっているイラストレーションというのは「絵」じゃないんですよ。小さいときから絵は好きだったけど、それは自分の気持ち、感情や思ったことを視覚的に表現したかったから。今も「絵」を描いているわけではなくて、依頼してくれた人の気持ちを自分の中でかみ砕いてビジュアライズしているという感じなんです。

絵はうまい方ではないですけど、うまい絵を描く人は世の中に腐るほどいますからね。ルーブル美術館で30分も過ごせば、ミケランジェロもいれば、ラファエロもいる。うまい絵を描くだけが勝負なら、たいていの人はもう絵なんて描けなくなりますよ。でも、そういうことではないと思うんです。魅力のある絵というのはうまいだけではなくて、やはりその人にしか描けない絵なんじゃないでしょうか。だから、そういうものを描いていきたいなと思います。

information
東京イラストレーターズソサエティ(TIS)の安西氏の紹介ページ(http://www.tis-home.com/mizumaru-anzai)。個展開催などの近況や最近の作品が掲載されている。TISはイラストレーター同士が結束してその仕事を社会に広めるために1988年に発足した会で、安西氏は2005年より理事長を務めている。
この記事を共有する

取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

  • バックナンバーはこちら
page top