南淵明宏

なぶちあきひろ・1958年大阪府生まれ。83年、奈良県立医科大学卒。同大学医局を経て89年シドニー・セント・ビンセント病院、91年国立シンガポール大学病院など海外の病院に勤務。92年に帰国後、新東京病院で心臓外科医としてスタート。96年、大和成和病院(神奈川県)に心臓外科を開設。2010年より大崎病院東京ハートセンター(東京都)のセンター長。医学博士。心拍動下(オフポンプ)冠状動脈バイパス手術のスペシャリストとして年間200例以上を執刀。また、最近ではテレビや新聞などさまざまなメディアを通して、医療問題について独自の視点で発言を続けている。おもな著書に『心臓外科医の挑戦状』(中公文庫)、『ブラック・ジャックになりたい君へ』(PHP研究所)など。

寝てもさめても仕事のことを考え、朝から晩まで楽しい

心臓外科出術の中でもリスクが高いとされる手術に、弓部大動脈置換術があります。弓部大動脈というのは、心臓上部にある大事な血管のこと。これを患者さんの胸を開いて人工血管に取り替えるのですが、弓部大動脈を取り出すには、体に血液が流れない状態にしなければいけません。そのため時間との闘いになりますが、縫うところも多く、かなり難度の高い手術です。さらに、無事縫い終えても、心臓が元通りに動かないこともあります。私は病気を治すのは医者だけではなく患者さん自身の力だと考えていますが、この手術がうまくいったときだけは、「よくやった」とそっと自分をほめたくなります。心臓外科医になってよかったと思う瞬間ですね。

 

私が医者を目指したのは、「かっこいいから」という理由でした。医者になれば、一般の人にはできないことができる。すごいなと単純に思ったんです。国家試験合格後に心臓外科医を選んだのも、難関だから。技術の問われる世界で、医学部を出ても誰もが実際に手術をできるようになるわけではない。そこが面白いなと感じたわけです。今でも私は「すごいですね。南淵先生しかできませんね」と言われるようなことをしたいと常に思っています。というのも、大それた志があるわけではなくて、面白くないことをやっていたら、自分が止まってしまうからです。止まると楽しくないじゃないですか。朝起きて寝るだけで。

 

30代前半にオーストラリアやシンガポールの病院で働き、手術の経験を積んだのも私にとっては自然なことでした。大学の医局にいた時に手術助手をさせてもらえたのはせいぜい週1、2回。もっと手術の経験を積みたいと、日本よりも手術頻度が高いオーストラリアの病院に直談判して職を得たのです。

 

もちろん、世界のどこを探しても大学を出て5、6年の医者に執刀させてくれる病院はありません。オーストラリアでも最初は患者さんに近寄ることを許されず、何もできない日々。それでも週5日、15回の手術を間近で見ることができましたし、与えられた仕事を完璧にできるようになると次の段階の仕事を任されるようになり、見よう見まねで執刀技術を身につけました。

 

日本にいたら、大学卒業後10年たっても手術はできなかったでしょう。皆そうですから。海外に渡るという選択肢がなければ、私の性格からしてすっかり腐って、医者をやめていたかもしれません。実際、日本の医師養成システムに耐えられず、志半ばで外科医をやめた友人たちもいます。私よりもずっと優秀な人材なのにです。そのことを悔しく、残念に思います。

 

だから、社会に出る皆さんに言いたいのは、仕事をしていくには「わがまま」も大事だということです。もちろん、「わがまま」も口だけでは、ただの嫌われ者の役立たずですよね。でも、行動し、「わがまま」を実現すれば、世間は認めます。実現するったって、別に「血のにじむような努力」とか「苦節何年」なんてストイックに考える必要はないですよ。好きで、面白いと自分が心から思うことなら、どんなことがあっても楽しい。医者になって30年がたちますが、私は努力をした覚えなんかないですね。寝てもさめても仕事のことを考え、朝から晩まで楽しい。

私が毎日楽しく生きていられるのは、自分に嘘をつくことだけはしてこなかったからかもしれないなと最近思ったりします。

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リスクを取り、逃げない人にとってこの世の中は「ボロい」

毎日のように執刀していますが、いくら経験を重ねても、手術をするのは怖いです。患者さんの状態は人それぞれですから、今日成功した手術が明日の患者さんにもうまくいくとは限らない。僕にとっては簡単な手術などひとつもありません。だからこそ、手術が成功して患者さんやご家族の喜ぶ顔を見たときの安堵感(あんどかん)と満ち足りた気持ちは言葉では表現しきれません。

 

逆に、手術がうまくいかなかった時はもがき苦しみます。患者さんの命を救えなかったのは、自分の力が足りなかったからではないか、判断に甘さはなかったのかと。罪の意識を感じて自責の念にさいなまれ、生きることからさえ逃げたくなることもあります。でも、生きて、一生懸命仕事をしないと、最期まで懸命に生きた患者さんたちに顔向けができません。だから、どんなに苦しみ、怖くても、今日もまた手術台の前に立つ。医者というのは、自分の罪を背負って、ずっと生きる仕事ですよね。

 

ただ、それは医者に限らないと思います。どんな職業であれ、うまくいかないことは必ずある。その苦しさ、悔しさをしかと心に刻みつけ、失敗を無駄にすまいと奮い立つのがプロだと思いますし、仕事を20年、30年と長く続けていくというのはそういうことなのではないでしょうか。

 

仕事に限らず何事も、やるからにはうまくいかなくても逃げたらダメですよね。だけど、残酷なことに、世の中には逃げ道もたくさん用意されています。心臓外科手術だって「リスクが高いからうまくいかなかった」と開き直ってしまえば、それまでですよね。でも、私は自分の意に反することからはダッシュで逃げても、自らの手でやったことへの責任からは逃げたくないと思っています。その理由は、「卑怯(ひきょう)だから」というようなかっこいいことではなくて、卑近な言葉で言えば、逃げなければ「ボロい(労力に比べて、利益が大きい)」と理屈でわかっているから。逃げないとかっこいいし、残る。逃げたら、残らないし、信頼もされず、人間としてカウントされない。とどめに、モテない。どっちがいいか一目瞭然じゃないですか。

 

仕事ってね、楽しいですよ。苦しくても、悔しくても、しみじみと楽しい。私にとっては仕事というのは人生を満喫する時間。自分を試し、人間の本質に迫る。医者という仕事は人間とは何か、自分とは何か、これを探究するきっかけにもなっています。

 

冒頭でお話しした弓部大動脈置換術を私が初めてさせていただいたのは、34歳のとき。Kさんという82歳の患者さんで、鎌倉でそば屋さんを営んでいた方でした。手術前にKさんに手術のリスクの高いことを説明したんです。すると、Kさんは「この歳で死ぬのなんて怖くないですよ」と僕に笑いかけたんですね。

 

そのときのKさんの表情というか、私を見つめた、すごく澄み切った、深さ何千メートルもありそうな瞳の奥というのがいまだに忘れられません。そのときに死というものをここまで穏やかに受け入れる境地もあるのかなと、人間の奥深さに驚き、果たして自分はそこまで達することができるだろうかと畏敬(いけい)の念を抱き、頭を垂れずにはいられませんでした。

 

心臓の手術を受けるというのは、患者さんにとってリスクもありますよね。症状によっては、手術をすることでかえって死が近くなることもある。そこに至った患者さんが何を思い、どういう顔をしているのか、何千例も見てきて、人間の普遍的な本質というのは何だろうと考えさせられずにはいられません。生か死かという状況下では、患者さんだけでなくご家族も赤裸裸に自分をさらけだしていく。医者というのは望むか望まないかにかかわらず、それを見ざるを得ない。ならば、砂かぶりの一番いい席にいることを感謝して、人間の生きざまというものを見ない手はないと思います。それを人としてどれだけ活用しているかは自信ありませんが、医者である限り、目をそむけない覚悟はできています。

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 INFORMATION

数多くの著書を持ち、テレビ、新聞などを通して医療問題について積極的な発言を続けている南淵さん。公式サイト(http://www.nabuchi.com/)では執刀した患者さんたちのエピソードを尊敬の念を込めて紹介した『勇患列伝』や、読売新聞の医療サイトに連載していた『世相にメス』など南淵さんによるコラムも読める。

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取材・文/泉彩子 撮影/臼田尚史 

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